大久保彦左衛門(1560-1639)

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「一心太助」の物語で有名な大久保彦左衛門(1560-1639)は三河の松平家の古い家臣の家に生まれました。彼は多くの兄たちとともに家康に従って数々の戦さで活躍し、家康を守って徳川幕府の成立に多大の貢献をしました。

しかしひとたび平和な時代が訪れると時代は戦いに優れた武士よりも政治に必要な官僚を求めます。大久保家は所領を減らされ閑職に追いやられて不遇な時代が続きました。また家康が苦労をしていた頃に家康を裏切ったりしたような元家臣が復権して高い地位に付いたりしているのを見るにつけ彦左衛門の憤懣は募るのでした。

その彦左衛門に光を当てたのは家康の孫・三代将軍家光です。彼は彦左衛門を自分の伽衆に加え、祖父家康公の話や戦国の世の苦労話などを進んで聞きました。彼も少しはむくわれるものを感じたに違いありません。

彦左衛門が遺した「三河物語」は家康自身の不遇な時代から平和な世の中に至る時代の流れをよく記録した貴重な資料です。これは無論公開する種類の著作ではなく、彼が自分の子孫の為に書き残したものであり、その中には上記のような事情を背景として彼の不満がとめどもなく書き綴られています。

大久保彦左衛門と一心太助の物語は鶴屋南北の弟子河竹黙阿弥(1816-1893)が書いた歌舞伎で世に知られるようになり、講談・小説などに書かれ、TVシリーズで取り上げられてすっかり人気者になりました。無論一心太助は架空の人物であり、彦左衛門がたらいに乗って登城したなどということも実際には無かったでしょう。

(一部の文献には2月30日没とも書かれているのですが、幾つか参照した文献の中では29日没と書かれているものの方が多いので、この日で取り上げました。)


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