←↑→ (17)徳政令について
数年前まで日本では、企業の銀行からの借入金の度重なる圧縮、そして個人
破産の増大などの状況の中で「これはもう徳政令しかないのでは」などという
ことを言う人たちもありました。韓国などはまさに本気で徳政令でもしないと
再建不能ではと思いたくなるほどなのですが、現在のようなグローバル経済の
下では外国の投資家からの借入金を消すことは事実上不可能であり、徳政令は
単に混乱を大きくするだけのことでしょう。むろん徳政令を実行すれば、銀行
も信販会社も全部倒産してしまいます。証券会社や保険会社も無事では済まな
いでしょうし、保険金や年金も大幅減額されることになるでしょう。

さてこの徳政令というもの。中世に多発されたことで有名なのですが、実は
かなり古くから行われていたようです。万葉集3809にも

  あきかえし、しらせとのみのり、あらばこそ、あが下衣、かえしたばらめ

という歌が詠まれています。「借金は全部御破算にして、担保は全部持ち主に
返すようにという令が出るのでしたら、私があなたに差し上げた下衣なども
返して欲しいものですわ」という意味です。「あきかえし(商返し)」というの
がつまり徳政令です。

万葉集が成立したのが759年ですから、天平年間以前にも時々徳政令というの
は実行されていたのであろうことが想像されます。それだけ昔から借金に
苦しむ人たちは多かったのでしょう。

徳政令が特によく行われたのは鎌倉末期といわれています。二度のモンゴルと
の戦いで何とか国土を防衛しきったものの、それに参加した武士達の財政事情
の悪化は深刻なものでした。しかも戦争に勝ったとはいえ、領土をぶんどった
りしたわけではありませんから、論功で土地を分け与えたりすることもできま
せん。そこで、弘安の役の3年後の1284年には鎌倉幕府が所領の質地などに
関する令を出し1285年には今度は朝廷が寺社の所有物を本来の所に戻させる令
を出しています。この手の令はこのあと相次いでいくことになり、最も有名な
のが永仁5年(1297)の徳政令で、所領の売買質入れをするとともに既に売ったり
質入れした所領は無償返付すること。そして債権債務についての訴訟は受理し
ないという、かなり強引な借金消滅政策をとります。

しかし根本的な経済状況の改革無しで単に徳政令だけ実行しても、その効果は
たかが知れています。現在、個人の破産者の場合も、破産免責した後の生活に
ついて強い指導がなされており、自分の収入で無借金で生活をしていくよう、
反省文なども含めて念を押されていますが、これはひとりひとり事情を勘案し
て免責をしているから可能なことであって、何も事情をチェックせずに全国
一斉に借金を棒引きするような無茶な政策をしても、各個人の生活はさほど
変わるものではありません。

かくしてこのあと徳政令は室町時代の初期に至るまで約150年ほどにわたって
頻繁に発せられることとなり、徳政令の実施を要求した「徳政一揆」のよう
なものまで起こされるようになります。こうなるともう無茶苦茶です。社会
経済の否定を意味します。

徳政一揆が収まるのは応仁の乱によって幕府自体が力を失い、戦国の世とな
って、そのような令を出せる主体そのものが事実上失われてしまってからで
した。その応仁の乱の時の将軍足利義政は実に13回も徳政令を出しています。

その後はもう徳政令は鎌倉末期〜室町初期のような明確な形では実施される
ことはなくなりましたが、手を変え品を変え、それに近いことが実施される
ことはあります。極端な話、経済を超インフレに導いて、物価が1年で百倍
にあがったりすると、借金の額も事実上百分の1になってしまいます。戦後
まもない時期にはまさにそういうことが起きたわけで、政府は更に新円切替
などというとんでもないことまでして、日本全体の経済を一度リセットして
しまいました。


(2004-03-15)

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