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↑ タンザニア独立(1961)


タンザニアはアフリカ東岸にある国で、大陸部のタンガニカと島部のザンジバル
との連合国です。ここでいう「タンザニア独立」というのはタンガニカが1961年
12月9日に独立したのを記念するものです。ザンジバルの独立は1963年12月10日
です。両者は1964年4月26日に合併しましたが、現在でも両者は政治的にはほと
んど別の国のようなものです。一応ザンジバルからタンザニアの国会に代表を
5名送り込んではいますが、ザンジバルはザンジバルで共産主義の自治政府の
統治下にあります。

歴史の舞台に登場したのはザンジバルの方が早く、8世紀頃にアフリカ東岸の
島々をアラブの商人たちが貿易の中継基地として開発しました。やがてアラビア
のオマーンのスルタンがこの地域(ザンジバル島・その北にあるペンバ島、南に
あるマフィア島、現ケニア領のラム島)を支配下に置き、ザンジバルの特産品で
あるクローブ(丁子)や奴隷貿易を始めます。

(クローブの特産地はこことインドネシアの香料諸島ですが、現在、ザンジバル
の生産量が世界生産量の半分以上を占めているそうです)

やがて大航海時代が始まるとヨーロッパの列強がザンジバルの各島に拠点を築き
奴隷貿易が非人道的であるとしてスルタンに止めるよう再三警告しますが一向に
やめようとせず、結局イギリスが軍事的にこの地域を支配下に置き、強制的に
やめさせるという手段に出て、結果的にこの地域はイギリスの保護領的な状態に
なります。

一方タンガニカにはドイツが19世紀末から入植を始めました。当時、この地域の
西端には全長3000kmにも及ぶ巨大な細い湖(ウニアメシ湖)があるとヨーロッパ
では信じられていましたが、現地の人たちに話を聞く内にそれは、実は3つの湖
に別れているということが分かります。これは北からビクトリア湖・タンガニカ湖
・マラウィ湖(ニヤサ湖)の3つでした。この3つはアフリカの三大湖でもあり
ます。中でもビクトリア湖は面積が69,490km2あり、九州の1.5倍くらいの広さです。

タンガニカの方ではアフリカ最高峰キリマンジャロ(5895m,スワヒリ語で輝く山
の意味)の付近の肥沃な土地でコーヒーなどが生産されていますが、南部に眠る
多くの鉱山資源はまだほとんど未開発の状態です。ダイヤモンドは昔から主産物
でしたが近年は金鉱の開発も進んでいます。しかし石炭などは手つかずの状態の
ようです。

ドイツは19世紀末にこの地域の支配権を確立しますが、第一次世界大戦で敗れた
ことにより、支配権を取り上げられ、イギリスとベルギーが分割統治することと
なりました。ベルギー領の方はその後、ルワンダ・ブルンジとして独立しています。
イギリス領になった地域ではイギリスが無理な入植をせず、現地の人を尊重した
保護政策をしたため、この地域は東アフリカ一帯で最も政治的に安定した地域と
なります。1950年代になるとニエレレ率いるタンガニーカ・アフリカ人民族同盟
が独立運動を展開したためイギリスはこれを認めて、1961年12月9日に独立。
ニエレレが首相に就任しました。(翌年憲法が制定されてニエレレは大統領に就任)

一方ザンジバルの方は1960年代初頭に少し政治的な混乱が発生し、その混乱の中
でアラブ系の旧スルタンが1963年12月10日に勝手に独立宣言をしますが、わずか
数週間で現地の人達によるクーデターで倒され、1964年1月12日、アフロ・シラジ
党が政権を掌握。党首のカルメが大統領に就任しました。

そして隣国タンガニカのニエレレ大統領との話し合いにより、両国は連合国と
なることが決まり、1964年4月26日、タンザニア連合共和国が成立。ニエレレが
大統領、カルメが副大統領となっています。

その後この政権は貧しい国を何とか豊かにしようと色々政策を打ち出していく
ものの、もともとが1200もの民族が同居する国なので、なかなか浸透せず、1960
年代後半からは社会主義的な政策で国家主導による強引な近代化を進めていき
ました。しかし1970年代のオイルショックはこの国の経済にも深刻な打撃を与え
1980年代になると国有化政策は見直されることとなり、1980年代後半になると
農地の私有化なども認められ、自由主義経済の導入が進みつつあります。

近年では元々は同じ国であったものの第一次世界大戦後にベルギー領になって
分離されていたルワンダ・ブルンジで相次いで内戦が起きて大量の難民がタンザ
ニア国内に流入。政府はこの対策にかなり頭を痛めたようですが、国連の仲介
などにより、何とか難民の帰国にこぎつけています。

なおザンジバルの方では非民主的な自治政府の下で対抗する勢力との間で政治
的な混乱が続いており、2000年には難民が発生してタンガニカに大量に人々が
逃げ込むような騒ぎまで起きています。タンガニカの本土の方は比較的安定し
ているのですが、日本の外務省では、ルワンダ・ブルンジとの国境付近や、
ザンジバルへの渡航には充分な検討をするよう注意を呼びかけています。

なおこの国の首都は実質、沿岸のダルエスサラームですが、同国では1996年に
内陸部のドドマへの遷都を宣言しており、現在、国会のみがそちらに移転して
います。

(2005-12-09)

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