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セポイの乱(1857)
1857年5月10日、インドでセポイの乱が発生しました。 イギリスは1611年にインドのマスリパタムに商館を設置しインド貿易に乗り 出しました。その後ムガール帝国の衰退に合わせて勢力を拡大し、1757年に はプラッシーの戦いでフランスとベンガル太守の連合軍に勝ち、インドでの 支配権を確立しました。 セポイというのはペルシャ語で兵士の意味ですが、ここではインドでイギリス が雇っていたインド人傭兵のことを指します。この年イギリスは新式の銃を 導入したのですが、その銃に弾丸を充填する時、その銃専用の弾丸の包み紙を 口で噛み切って詰めるように兵士たちに指示しました。 ところがこの時一部でこの包み紙に牛と豚の脂が染みこませてあるのではない かという噂が立ちました。 ここでインドのヒンズー教徒は牛を神聖な動物として大事にしていますし、 イスラム教徒は豚を汚れた動物として口にすることを教理で禁止しています。 そのような動物から取った脂が使用されているとしたらこれは大変。そんな ことできるかと言って、初めデリー北方のメーラトで一部の傭兵が反乱を 起こしました。 本当にその弾丸の包み紙に牛や豚の脂が使用されていたのかは分かりませんが この反乱はよそから来て勝手に自分たちの国を支配しようとしているイギリス 人たちへの反発として、あっという間に全国に飛び火しました。そして人々は 口々にイギリス人たちの撤退とムガール帝国の支配権の再確立を要求しました。 しかしイギリス軍は強力な軍隊を投入、9月にはデリーで激しい攻防戦を制し、 翌年3月にはクラノーをほとんど虐殺に近い過激な戦闘で占領。そしてその年 の夏頃までにだいたいの鎮圧を終えて、11月、ムガール皇帝を廃止してインド をイギリスの直轄領にしてしまいました。 このイギリスによる支配は20世紀になってマハトマ・ガンジーが登場するまで 100年弱も継続したのです。
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