1985年の3月11日、ソ連(ソビエト社会主義国連邦)の新しい書記長に若きミハイル・セルゲイビッチ・ゴルバチョフ(1931.3.2生,当時53歳)が選出されました。これによってソビエト連邦の幕引きに至るペレストロイカが開始され、東欧の民主化が実現しました。
ソビエト連邦はマルクスの共産主義運動を実際の国家で実現しようとするレーニン(1870-1924,本名ウラジーミル・イリイチ・ウリャーノフ)らが2月革命(1917.3.12,共和制に移行),10月革命(1917.11.6,ソビエト政府成立)を経て1922年に成立しました。レーニンの死後はスターリン(1879-1953,本名ヨシフ・ビサリオノビチ・ジュガシビリ)が半ば恐怖政治的な強権政治を行って強い国家を建築します。
しかし、その専制の中で社会的矛盾が多数噴出し、スターリンの死後はフルシチョフが民主化を進めて改革しようとしますが、失敗。政権は緩やかな社会主義を実現しようとするブレジネフ(1906-1982,レオニド・イリイチ)の元でソ連は大いなる停滞と平穏の時代を過ごします。
『ブレジネフはみんなが乗ってる列車の行く先の線路がもう無いのに外から列車を揺すってあたかも列車が走っているかのように思わせていた』そう後日、評した人もいます。
ブレジネフが亡くなった後もまだまだ改革は始まりませんでした。既得権を持つ共産党幹部たちに対抗して国民に活力を吹き込もうとする指導者は古い世代にはほとんどいませんでした。彼の後は1983年6月からはアンドロポフ、1984年4月からはチェルネンコといった長老が書記長を引き継ぎ、ソ連の政治はブレジネフの時以上に停滞します。
しかしこの中で登場したゴルバチョフはその止まっていた列車のドアを開け、みんなに「おおーい、おりてみろ!もう線路がないぞ」と叫んだのです。
彼はグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(再構築)を唱え、経済と政治と意識の改革を図ります。彼は、幾ら働いても同じ給料なら働かない方がマシと諦めて忍耐強く行列に並んで配給の食料を買っていた国民たちに、これからは働いただけ豊かになれるぞと語りかけ、特権階級の人たちにも限られた既得権を捨てて新しいもっと大きな可能性を目指す意欲を与えました。
その結果、今まで潜んでいた矛盾は一気に吹き出して彼が目指した以上に改革は進み、東欧各国でも刺激されて共産党政権が退いて民主化が進み、ドイツではベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統合され、ソ連も15の構成国が独立して、「ソビエト社会主義国連邦」は消滅、以後の改革はその中心国ロシア連邦共和国のエリツィンに引き継がれます。