1789年のフランス革命の後、急進的な革命政府への反動からやがてナポレオンが登場して帝政を敷いたものの、やがて周辺国との戦いに敗れて失脚、セントヘレナに流された後、1815年にルイ16世の弟、ルイ18世が王位に復帰して、王政復古が行われました。(正確には1814年に一度王政復古してからナポレオンの百日天下を経て、1815年に再度王政復古が行われた)
しかしルイ18世やその後継者のシャルル10世(ルイ16世,18世の弟)は1789年の革命以前に後戻りさせるような政治を行い国民を失望させます。これに不満を持った国民は1830年7月27日蜂起し、パリの主要施設を占拠します。シャルル10世は亡命し、ブルボン家からは分家にあたるオルレアン家のルイ・フィリップが「フランス国民の王」を称して新しい王位に就き、立憲君主制の体制を敷きました(フランス7月革命)。
ルイ・フィリップはブルジョア勢力の代表であり、自らも「株屋」であると称していました。彼の政策を資産階級の人々は支持していましたが、一方社会的な勢いを増しつつあった無産階級の人々は不満を募らせていきました。
そして1848年2月22日、改革派の集会が政府により強制解散させられたことが発端で各地でストライキやデモが発生。ルイ・フィリップは首相更迭などで対処しようとしますが民衆は収まらず、ついに2月24日、大規模な武装蜂起へと発展します。
これはもう無理と判断した国王は退位を表明、イギリスに亡命し、ここにフランスの王政はその歴史を閉じました。代わって臨時政府が組織され、第二共和制が始まりました。
しかし臨時政府のもとで4月に実施された選挙で、労働者たちが支持する社会主義勢力は惨敗。自分たちの意見を議会で主張できないと絶望した彼らは6月22日暴動を起こすものの軍隊に鎮圧されます(6月蜂起)。
そして選挙後に制定された憲法にもとづき12月に大統領選挙が行われ、ブルジョア勢力と農民勢力に支持されたルイ・ナポレオンがその知名度も生かして当選しました。
1789年の革命以来、共に歩んできたブルジョア階級とプロレタリアート階級は、この2月革命とそれに続く動きにより、この後は対立していくことになります。
4年後、ルイ・ナポレオンは皇帝に就任して第二帝政を始めます。
なお、ビクトル・ユーゴーの大作「レ・ミゼラブル」のクライマックスは、この6月蜂起で混乱するパリが舞台になっています。戦闘に巻き込まれないよう、ジャンバルジャンが重傷のマリウスを背負って地下水道を逃げていくシーンは圧巻です。
(2011-02-24)