1876年6月25日、カスター中佐率いるアメリカ第七騎兵隊がリトル・ビッグ・ホーンでシッティング・ブル率いるスウ族・シャイアン族・アラパホ族などの連合軍との戦いに敗れ、全滅しました。
1873年、ワイオミング州とモンタナ州の境界付近のブラックヒルズで金鉱が見つかったという噂が立ちました。本当に見つかったのかどうかは分かりませんが、その噂を聞いて大量の白人たちがこの地の押し寄せてきました。しかし、この土地は元々アメリカ白人政府もインディアン達に保証していた土地でした。
この地に住んでいたスウ族・シャイアン族のインディアンたちは抗議しますがアメリカ白人政府はこれを無視して逆にこの地からインディアンを追い払おうとし、テリー将軍・クルック将軍・ギボン大佐・カスター中佐らが大包囲網を敷いてインディアンを攻撃しようとしました。
インディアンの数は相当なものでしたが、彼らは通常小さな部族単位で行動する為十分駆逐できると考えられました。ところがここに白人たちの不当な行動に怒ったインディアンたちがカリスマ的指導者シッティング・ブルの元に大集結をしていました。先兵のクルック将軍の部隊はクレイジーホース率いる精鋭部隊につぶされ壊滅しますが、この知らせは大規模なインディアン側の包囲網にはばまれて、白人側の他の部隊にすぐには届きませんでした。
そしてその反対側から進軍していたカスター中佐の部隊はそれを知らずに、しかもやや手柄をあせってインディアンの勢力地へ深く進入しすぎ、完全に包囲されてしまいます。そしてリーノ少佐らわずかを残してほぼ全滅してしまいました。この時インディアン側の包囲網はカスター隊の10倍ほどの人数であったとも伝えられます。
この戦いは白人に弾圧されてばっかりであったインディアン側の輝かしい勝利でしたが、逆に悲劇の始まりでもありました。カスター戦死の知らせが届くと白人たちの間にはインディアン殲滅すべしという空気が満ち、このあともっともっとひどい弾圧が行われていくのです。
====================================================================お断り。
先日エスキモーに関しても似たようなことを書いたのですが。。。最近「インディアン」という言葉は差別語ではないか、として「ネイティブ・アメリカン」という言葉を使う方も多いようです。しかし、そちらの方が、もっと差別的だという説もあります。直訳すれば「アメリカ原住民」ですからね、確かに。実際問題として、彼らは「インディアン」と呼ばれることをそう嫌っていないようですし、彼らが自主的に組織した団体の中に「インディアン」の名称を使っているものもあります。そもそも「アメリカ」という言葉自体もイタリアの探検家 Amerigo Vespucci(1451-1512)から来ている訳ですから、それなら「西インド人」と呼んでも大差ないような気もします。
本来は彼ら自身が自分たちのことを呼ぶ名称があればよかったのでしょうが、彼ら自身はあまり圏外との交渉がなかったため、彼ら自身を呼ぶ名称というのは、存在していなかったようです。また、そもそも彼らは様々な民族の複合体であり、言葉ひとつとっても17語族200ヶ国語があったといいます。つまり本来彼ら全体をまとめて捉えること自体が困難で、ヨーロッパみたいな所を想像してもらうとイメージが近いようです。
そういう訳で、ここでは余計な問題をもたらしそうな「ネイティブ・アメリカン」よりは「インディアン」の方を使わせて頂きます。