1689年2月13日(ユリウス暦。グレゴリウス暦では2月23日)、議会の要請に応じてオランダからやってきたオレンジ公ウィリアム(1650-1702)とメリー(1662-1694)が「権利の章典(Bill of Rights)」を承認して共同王位に就きました。これで名誉革命が完成しました。
名誉革命自体の背景については、以前に述べたオレンジ公ウィリアムに関する記事を参照してください。
権利の章典は13ヶ条からなっていますが、その全ては第一条で言い尽くされています。
That the pretended power of suspending laws, or the execution of laws, by regal authority, without consent of parliament is illegal.
議会の同意なく、王の権限によって法律を施行したりあるいは停止したりする ことは許されない。
またこのことを保証するために第四条では王が勝手に税金を取ることを禁止、第六条では王は独自の軍隊を持ってはならないとし、第八条では議員は自由選挙により選ばれること、第九条では議会に言論の自由があることをうたっています。また第十一条では大逆罪を裁く時の陪審員は自由人でなければならないとうたい、あるゆる手段での王権の行使を制限しました。
この章典により、イギリスでは「国王は君臨すれども統治せず(The king reigns, but does not govern.)」という事実上の象徴国王システムが確立しました。それ以降、イギリスでは「国王はたとえ自分を処刑するという法案を議会が持ってきてもすぐに署名するであろう」といわれてきました。
この「権利の章典」は「憲法」というものを制定していないイギリスでマグナカルタ(1215)と並ぶ重要な根本法です。