新進党は1994年12月8日に党首選挙を行い初代党首に海部俊樹元首相を選出した上で、12月10日、国立横浜国際会議場で結党大会を開きました。当初参加した国会議員は衆参214人という大勢力でした。
1993年以来の日本の政党の合従連衡は凄まじいものがあり、記録などをたどらずにソラで全ての流れを言える人は極めて少数なのではないかと思います。以下にその概観を試みてみましょう。(細かすぎる動きは省略)
自┬──┬──────────────────────────(自民党)民│ ├新党みらい┐自由 ↑党│ ├改革の会─┼改革┐ ││ ├高志会──┘連合│ ││ │ │ ┌保守党─────保守新党┘│ └自由党─────┤ ┌自由党──┴────────────┐├─新党さきがけ(B) │ ├改革クラブ───────────┐ │└─新生党───────┤新├新党友愛───────┐ │ │├進┼国民の声───┐ │民主友愛│ │日本新党─────┤党├太陽党────┼民政党┼太陽国民┤ │公明党┬公明(A)│ ├フロムファイブ┘ │連合 │ │└公明新党─┤ ├民主改革連合─────┘ │ │社会民主連合─────┤ ├黎明クラブ┐ │ │民社党─────┤ └新党平和─┼公明党 │ │社会党(C) │ (A)公明─┘ (消滅)│ │民主改革連合─────┘ ┌みどりの会議 │ │(B)新党さきがけ┴───┐ ↓ ↓(細川政権の連立8党) ┌─(右派)───┴民主党┴─┴─(C)社会党┴─(左派)─社民党
1993年の自民党の分裂劇は宮沢政権の政治改革失敗を受けて、竹下派内部で、橋本派と小沢派の対立がどうにもならない段階まで到達したことにより、小沢派が自民党を飛び出して生じました。その直後の選挙で自民党が過半数を割り込んだことから、中立性の強い日本新党を中心に据えて、日本新党の党首である細川護煕(元熊本県知事)を首班に政権を構成したもので、その後これを支える与党の大半が合流して「新進党」が出来ます。
しかし新進党からやがて公明系の議員が分離したのをきっかけに党首の小沢氏の求心力が急低下して1997年12月27日、解党して上記の9つの政党に分裂しました。それが2000年頃までの2年間に緩やかに集まりながら民主党を形成していきます。その中核として活動したのが社会市民連合出身で、あまり嫌う人の少ない菅直人でした。
そして2003年秋には自由党と合併して直後の衆議院選挙では政権奪取の大きなチャンスがあったのですが、おりしも自民党側が国民に絶大な人気を持つ小泉純一郎であったため惜しくも敗れ、その後、今年の総選挙では曖昧な政策と矛盾にあふれた幹部の発言が国民に呆れられて大きく議席を減らしました。