沖縄本土復帰(1972)

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5月15日は沖縄の本土復帰記念日です。

太平洋戦争後アメリカに占領されていた沖縄は25年前の明日、昭和47年(1972)5月15日に日本領に復帰しました。昭和20年の4月から6月に掛けての激しい戦闘でここが米軍の手に落ちて以来27年ぶりの復帰であり、戦争で取られた領土が交渉で戻ってきたのは希有なこととして、交渉を成功させた佐藤栄作首相は後にノーベル平和賞を受けます。

しかしその代償は大きく、沖縄を米軍は自由にベトナム・中東など各地の戦役の拠点として引き続き使用し、猛烈な住民の抵抗が続く中、まだ日本はその基地の規模を縮小を実現することができずにいます。(だいたい今の政権はやる気があるのでしょうか?)当時本土復帰後もアメリカがここに基地を維持することを認める口約束の上で初めて復帰交渉が成功したのであったことが、長い年月を経た今明らかになっています。

沖縄県の範囲は北は沖縄本島の少し北の伊平屋島(北緯27度)から南は波照間島(北緯24度)まで、東は太平洋にポツンと浮かぶ北大東島(東経131度)から西は台湾のすぐ近くの与那国島(東経123度)まで、領域の面積は約20万平方キロと本州全体の面積に匹敵する広さを持ちながら、陸部の面積は総合計でも2000平方キロで全国で4番目に狭い県でもあります。

歴史に最初に名前が出てくるのは7世紀頃で「流求」と呼ばれていましたが、この名称は現在の沖縄と台湾を含む地域を指すことばです。後に現在の沖縄を大琉球、台湾を小琉球と呼ぶようになりました。

1187年舜天が最初の王朝を作り、1326年からは中山・北山・南山の三山分立の時代が始まります。この頃混乱に乗じて多くの倭寇がこの地域を拠点として東シナ海を荒らし回りました。

しかしやがて1429年に尚巴志が三山を次々に攻略して沖縄を統一、琉球尚王朝を築きます。その後貿易の拠点として繁栄を続けますが、1592年日本を統一した豊臣秀吉が琉球にも賦役を求め、更に1609年には日本の薩摩藩島津氏が出兵して占領。王朝を従属させて、奄美を直轄地として奪った上、以後朝貢を要求しました。しかし王朝は存続を認められたため江戸時代琉球では中国との国交も引き続き維持しています。またその微妙な沖縄の地位が薩摩藩に莫大な富をもたらし続けました。当然それが明治維新の原動力の一つになります。

1853年日本に来たペリーはその足で琉球にも寄り、琉米修好条約が結ばれます。しかし日本はここを自国の領土であると強く主張、同じく領有権を主張する中国(清)も振り切って明治12年(1879)強引にここに「沖縄県」を設置、以後ここが日本固有の領土であることを既成事実化していきます。琉球尚王朝はこの沖縄県設置とともに廃止されました。

昭和19年10月10日以降の米軍の空襲と、昭和20年4月1日から6月23日まで続いた米軍沖縄上陸作戦では軍人民間人あわせて20万人もの犠牲が出ます。戦争終結後もアメリカは沖縄と奄美(1953復帰)・小笠原(1968復帰)を日本から切り離して管理、すぐに戦争の始まった朝鮮、引き続いてもめたベトナム他インドシナ、そして果てしない戦いの続く中東へと軍隊を派遣するための前線基地・中継基地として沖縄は使用されてきました。その間アメリカ軍は沖縄の人々を従属国の人間として見下した扱いをし、その風潮は復帰後25年たった今も大きくは変わっていません。


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