1954年6月8日、改正警察法が公布され、国家地方警察と自治体警察が一本化されました。
戦後日本の政治・行政・などの改革を進めていたアメリカは警察制度についても、アメリカ流の自治体ごとの警察制度を導入、昭和23年の警察法によって人口5000人以上の市町村に自治体警察、その管轄外の区域を担当する補助的なものとして国家地方警察が発足しました。
しかし日本の官僚はこの制度に大きな危機感を持ちました。このような縦割りの警察組織では、自治体にまたがって起きる広域犯罪に対して対処がしづらく、捜査が困難を極めることが予想されました。この問題に対処し、きちんと機能する警察組織の構築のために尽力したのは、自治官僚・後藤田正晴(後の副総理)らです。
後藤田らは、この自治体警察の大枠を今更根本から覆すことは困難と考え、一応警察は自治体ごとに組織されるものの、その幹部(警視正以上)は国家公務員扱いにすることにより、全国の警察を統一した指揮系統で動かすことのできる仕組みを考案しました。
(つまり警視の時まで県から給料をもらっていた人が、警視正に昇進すると突然給料の支払元が国に変わる、という不思議な制度です)
この考え方にもとづいて作成された改正警察法は1954年5月、社会党などの「中央集権化だ」という猛反対の中、国会内での乱闘を経て可決成立。6月8日公布されて7月1日施行されました。
実際にアメリカが今でもFBIと各州警察との連携の悪さで州にまたがる犯罪に苦しんでいる姿を見ると、やはりこの改正は正解だったのでしょう。
後藤田は後に警察庁長官(1969.8-1972.6)も務めています。彼は実は警察予備隊の創設にも関与しており、目立たないながらも、日本の戦後体制を作った一人ともいえます。そして彼の世代の官僚というのは、真に行政のエキスパートでした。