1955年(昭和30)11月15日、自由党と日本民主党が合併し、自由民主党が生まれました。前月には右派社会党と左派社会党が合同して日本社会党が誕生しており、日本はこれでアメリカやイギリスと同様の二大政党の時代に入るかに思われました。この体制を一般に『55年体制』と呼んでいます。
この体制は一般には1993年の小沢一郎氏らによる新生党結成によって崩壊したといわれているのですが、実際には1960年に社会党の穏健派が民主社会党を結成した時点で崩れていました。これにより単独での政権担当能力を失った社会党はその後ジリ貧状態が続き、結局一度も首相を出すことなく1993年を迎えます。以下に政党の合流分裂の歴史をダイジェストにして掲示しましょう。図示しようかとも思ったのですが、流れが複雑すぎて文字絵では不可能という感じです。
【自民系】1881 板垣退助が自由党を結成1882 大隈重信が立憲改進党を結成1890 自由党→立憲自由党1891 立憲自由党→自由党1892 立憲改進党→進歩党1898 自由党と進歩党が合同して憲政党が成立同年 再分裂。板垣は憲政党、大隈は憲政本党を名乗る。憲政本党には追って立憲改進党(1882結成)が合流する1900 板垣の憲政党が立憲政友会に改組。党首は伊藤博文に交代。1910 大隈の憲政本党が立憲国民党に改組。1913 立憲国民党が犬養毅の国民党と、桂太郎などの立憲同志会に分裂。1916 立憲同志会→憲政会1922 国民党→革新倶楽部1924 立憲政友会から政友本党分離1926 政友本党いったん政友会に戻る1927 憲政会→立憲民政党1928 旧・政友本党が再離脱。新党倶楽部結成。1929 新党倶楽部が政友会に戻る1930頃 旧・新党倶楽部が再離脱。民政党に合流。一方革新倶楽部は逆に政友会の方に合流。1932 民政党から国民同盟が分離1936 国民同盟から東方会が分離1940 大政翼賛会の発足で事実上政党消滅=========1945 鳩山・吉田らの日本自由党 町田らの日本進歩党 千石らの日本協同党1946 日本協同党→協同民主党1947 日本進歩党→民主党 協同民主党が国民党(46結成)を吸収合併する1948 日本自由党→民主自由党1949 民主党が野党派と連立派に分裂1950 民主党連立派が民主自由党に合流 民主党野党派が国民協同党に合流1950 民主自由党→自由党 国民協同党→国民民主党1952 国民民主党→改進党1953 自由党から鳩山らが分離。更にそこから三木らが分離して日本自由党結成1954 日本自由党と改進党合併し日本民主党1955 自由党と日本民主党が合同し自由民主党結成【55年体制】======1976 河野洋平らが離脱して新自由クラブ結成1986 新自由クラブ解党。大半は自民党に戻る1993 武村正義らが離脱して新党さきがけ結成 小沢一郎らが離脱して新生党結成1994 新生党・公明党・日本新党・民社党・自由連合・高志会・新党みらい・改革の会・リベラルの会の9会派が合同して「新新党」結成。追って名称を「新進党」に変更【40年ぶりの二大政党実現】
1996-1998 さきがけのメンバー 新進党から旧公明党グループ離脱「平和」 五月雨的に自民党復党 小沢一郎に反発するグループ離脱して 社会党議員の大半と一緒に「民主党」結成 残ったメンバーは「自由党」を再編。
2000 扇千景らが自由党から離れて保守党結成
ということで、現在は、自由民主党・民主党・自由党の三大保守政党のほか、いくつかの少数政党がある状態になっています。
【社会党系】1882 東洋社会党結成 同年、車界党結成1892 東洋社会党と車界党が合同して東洋自由党結成1900 東洋自由党→社会主義協会1901 社会主義協会→社会民主党1906.01 日本社会党と日本平民党に分裂1906.02 両者合併して日本社会党1920 日本社会主義同盟に改組1921 急進派が分離して共産党を作る(この系統は共産党系の項参照)1925 農民労働党に改組1926.03 労働農民党に改名1926.10-1928 社会民衆党・日本農民党・日本労働党・無産大衆党に四分裂1928 日本農民党・日本労働党・無産大衆党が合同して日本大衆党1930 社会民衆党から一部が分離、日本大衆党と一緒に全国大衆党結成1931 全国大衆党と労農党(1929結成)が合同して全国労農大衆党1932 これに社会民衆党が合流して社会大衆党結成【社会党統一】1940 大政翼賛会の発足で事実上政党消滅=========1945 日本社会党結成1948 社会革新党と労働者農民党に分裂1951 社会革新党が右派社会党と左派社会党に分裂1955 右派社会党と左派社会党が合同【55年体制】1957 労働者農民党が社会党に合流1960 穏健派が分離して民主社会党結成(1969に民社党に改名。1994年に新新党→新進党に合流)========1977 江田五月らが分離して社会市民連合結成。(他の数団体と合併して社会民主連合(略称:社民連)となるが1994年日本新党に合流。日本新党はその後新新党→新進党に合流)
1996 党名を社会民主党に改名。(英語の党名は実はずっと以前からSocialist-Democratic Partyであった。こっそり改名していた)大半の議員が民主党に合流。一方左派は別の「(新)社会党」を結成。
ひじょうにややこしいのですが、以前の社会党の事実上の勢力の大半は民主党に合流していますが、団体として旧社会党を継承しているのは社会民主党(略称:社民党)です。しかし、別の社会党という名前の政党も活動しています。
【共産党系】1921 社会党の急進派が分離して暁民共産党を結成1922 日本共産党に改組。この組織が基本的には現在まで継続しているつまり現行主要政党の中では最古の政党である。(1950年に主流派と国際派に分裂するが1955再合同)
【その他の主な政党】
★公明党1964 創価学会が公明党を結成。日本初の本格的宗教政党。しかし総選挙で思わぬ大量当選をしたことから、宗教色を出すことが不可能となり「中道政党」を名乗り、創価学会とは分離される。1994 公明党の衆議院議員のみが新進党に参加。(参議院はそのまま)1996 新進党から分離して新党平和1998 平和を解消して公明党に戻る
★日本新党1992 元熊本県知事・細川護熙が日本新党を結成1993-1994 細川が新生党・新党さきがけ・公明党などによる連合政権 の首班に指名される。社会民主連合がここに合流。1994 他の8会派と合流して新進党を結成。この2年間の活動が思わぬ大きな物になってしまったことにより発生した膨大な負債は結局細川が先祖(肥後藩主)伝来の不動産を売却して個人的に弁済する。
★日本女性党1972 榎美沙子らが中ピ連(中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合)を結成する。マスコミなどに積極的に登場して活発な活動を行う。1977 日本女性党を結成、参議院選挙に10人の候補を出して全員落選。これにより、幹部が非難の応酬をしあい内部分裂を起こして日本女性党・中ピ連とも事実上活動停止。
なお今年の参議院選に出た日本女性党はこの時の日本女性党とは無関係で、某化粧品会社に近い団体でした。
★日本労働党1974 日本労働党結成1976 総選挙に初めて立候補1979 神奈川県知事選で主要政党全党相乗りを批判して大量得票1983 地方議会で初の議席
その後も国政選挙の度に候補を立てていますし、神奈川知事選・福岡知事選でもそれなりの得票を得ています。社会党があのような状況になってしまったこともあり、共産党と共に社会主義に魅力を感じる人たちの重要な受け皿になっていますので、いづれは国会議員の誕生もあるかも知れません。