永禄12年(1569)1月11日、越後国の上杉謙信が対立していた甲斐武田信玄に塩を送りました。
上杉謙信は越後の龍、武田信玄は甲斐の虎と呼ばれ、ともに強力な戦国大名でした。
二人は国を安定させ、勢力を拡大して、天下を目指します。そして二人は隣国に住む者として、いつしかぶつかり合うことにもなります。
かくして川中島で、1553年、1555年、1557年、1561年、と4度にわたる決戦がおこなわれましたが両者譲らず、痛み分けとなります。
一方で両者はそれぞれ互いにぶつからないルートで都を目指しました。
上杉謙信は1559年には一度北陸ルートで上洛に成功。室町将軍から関東管領に任じられます。一方の武田信玄は太平洋側から東海ルートで都を目指しますが、駿河にも大大名・今川がいます。武田はこの今川と対立。ここで今川は1567年8月、駿河から甲斐へ向かう商人の往来を禁止。とりわけ塩が甲斐に入って行かなくなりました。
海のない甲斐国で塩が入ってこないのは国全体にとって文字通り死活問題です。ある程度の備蓄はあったものの、それも乏しくなると、甲斐国では領民たちがパニック寸前の状態まで追い込まれました。
そして。
今川の経済封鎖が始まってから1年5ヶ月が過ぎた時、北方の峠を越えてくる馬の隊列がありました。
「塩だ!塩だ!」
それを見た警備の兵たちの間に歓喜の声が広がりました。
甲斐の窮状を見かねた上杉謙信が、ライバルである武田に日本海で取れた塩をプレゼントしてくれたのです。
それは対立を越えた謙信ならではの義理の通し方でした。