南北朝合一(1392)

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歴史上に名を残した「後」のつく天皇が3人います。

後白河天皇、後鳥羽天皇、後醍醐天皇、です。

後白河天皇は保元の乱で政治の実権をつかみ、平清盛・源頼朝をいいようにあしらって、「日本一の大天狗」と言われました。

後鳥羽天皇は鎌倉幕府を倒して天皇親政を取り戻そうと承久の変を起こしますが失敗、隠岐に流されました。

そして、後醍醐天皇も鎌倉幕府を倒すために元弘の変を起こして失敗、いったん隠岐に流されますが、ここから更に再起して足利尊氏の協力を得て倒幕を実現します。これが建武の中興です。

しかし、ここから天皇は尊氏と対立してしまいます。尊氏は別の天皇・光明天皇を立て、後醍醐天皇は奈良の山中に逃れて南北2つの天皇が並び立つ前代未聞の事態になりました。

結局尊氏は北朝により征夷大将軍に任命され、室町幕府が成立して、南朝に対して徹底的な弾圧を加えますが、南朝も深い山の中で抵抗強く、この並立状態は56年間も続きました。

そして、元中9年(明徳3年,1392)閏10月5日、南朝の後亀山天皇が皇位の象徴である三種の神器を北朝の後小松天皇に譲り、両者の合一が実現しました。その間に将軍の地位は尊氏の孫の義満の時代になっていました。

後亀山天皇は三種の神器を渡す時、両者の系統が交互に皇位に就くことを交換条件としましたが、実際に皇位についた後、統一朝廷側はその約束を反故にし、後亀山天皇の皇子が皇太子に据えられて、南朝の系統の天皇がその後皇位に就くことはありませんでした。

なお、禅僧として有名な一休はこの後小松天皇の皇子と言われています。


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