真珠湾攻撃(1941)

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1941年12月8日、帝国日本軍はハワイ・オアフ島のパール・ハーバー(当時真珠湾、と訳された)に集結していたアメリカ軍艦隊を闇討ち。アメリカ軍に甚大な被害を与えました。1時間後、日本の駐米大使はアメリカに対して最後通牒を執行。太平洋戦争が始まります。

本来は、この最後通牒が出た直後に真珠湾攻撃がなされる予定でした。ところが文書のタイプを、重要文書であるからといって秘書に任せず、大使自らが打ったため、予定の時刻を大幅に遅れてしまったといいます。このため、日本の攻撃は戦争状態にない国に対して非人道的なゲリラ攻撃を加えたという、国際法に反する卑劣な行為であることになってしまいました。

もっともアメリカは日本の暗号通信は全て解読していましたので、日本が最後通牒を執行することも、パールハーバーを攻撃することも知っていたのですが、なぜかこのことがハワイに集結していた部隊に知らされていませんでした。そのため、ハワイのアメリカ軍は完全に不意打ちを食らって、2000名を越す死者を出し18隻もの艦船を失うことになってしまったのです。

太平洋戦争の開始は日本・アメリカ双方にとって悲劇でした。

この作戦を実行するため、日本の艦隊は鹿児島湾で桜島をオアフ島に見立てて何度も訓練を行い、ハワイに迫ります。そして佐世保の現在のハウステンボス近くに今も立つ針尾無線塔から発せられた「ニイタカヤマノボレ」の信号を受けて、攻撃を開始しました。

完全に相手の虚をついたため、日本側の被害は少なく、死者はわずか64名、失った航空機29機にすぎません。そして指揮官の南雲忠一中将は敢えて2度目の攻撃は避けてほぼ無傷に近い状態で艦隊を返し、「トラトラトラ」の信号を発して、攻撃成功を報告したのでした。

まさか、まだ最後通牒が執行されていなかったなどとは知らずに。


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