「いいくに作ろう鎌倉幕府」。歴史を習ったのが遙か昔の人もこの語呂合せだけは覚えているのではないでしょうか。建久3年(1192)7月12日、源頼朝が征夷大将軍に任じられて、鎌倉幕府、そして武家政治の歴史が始まりました。
「征夷大将軍」とは本来「夷」つまり国内にあって朝廷に従わない者たちを鎮圧するための治安軍の最高責任者の称号であり、天皇が自ら親刀を渡して全権を委任する、非常大権の実行者です。かつてこれに任命されたのは坂上田村麻呂と藤原忠文の2人しかいませんでした。
ところが平清盛没後の平家を京都から駆逐して後白河法王らを守った木曾義仲に対して、朝廷はあまりにも安易にこの征夷大将軍の称号を与えてしまいます。そこで頼朝はその義仲を破り、更に弟の義経までも退けて国内覇権を確立した時、自分にもこの征夷大将軍の称号を与えるよう要望したのでした。
これに対して後白河法王側はそんなたいそうな称号を与えてしまうと、今後朝廷の力がかなり制限されてしまうことは目に見えたため、例の調子でのらりくらりと先延ばしにします。頼朝をして「日本一の大天狗」と言わしめたところです。しかし法王がこの年3月亡くなると、朝廷の中には頼朝に対抗しうる力を持つものはありませんでした。そしてとうとうこの日、将軍任命となります。