私は常々「日本三大奇僧」として一休・沢庵・良寛をあげてよいのではないかと思っているのですが、偶然にも、この3人はいづれも禅僧です。
この沢庵は「沢庵漬け」の考案者として有名(沢庵と親しかった徳川家光の命名らしい)ですが、もうひとつ歴史的に有名なのが「紫衣事件」です。
当時幕府は朝廷の力を抑えるため、朝廷が任命して大徳寺や妙心寺などの住職になり住職の印である紫衣をつける者は予め幕府の許可を得なければならない、としていました。
しかし、大徳寺側はこの幕府の介入に反発して勝手に住職を任命し、また大徳寺の元住職である沢庵らも幕府に抗議をしました。しかし宗教勢力に力をつけさせては権力の土台が揺るがされることになるため絶対に譲歩できないと考えた幕府はこれを権力で押えつけ、沢庵も将軍に親しい人物といえどもこればかりは見逃せぬと、出羽に流罪にしたものです。
この事件でプライドを傷つけられた後水尾天皇はこの後10月、家光の乳母お福が本来天皇や皇后に謁見できるような身分ではないのに強引に幕府の名代として家光の妹である和子皇后に会いに来たりしたこともあり(この時「春日局」の名前をもらった)、すっかり自身を喪失。11月興子内親王に譲位して900年ぶりに女帝が誕生します。
一方出羽に流された沢庵は、その土地の領主土岐頼行が、たいへんな高僧が来てくれたと大事にもてなされ、3年後に赦免されるまで、この地で安寧な生活を送りました。