日本史の中の女性(2)大闇見戸売とその周辺

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written by Lumiere on 96/08/31 18:53
このタイトルの「大闇見戸売」という名前を見て、氷室冴子さんの「銀の海・ 金の大地」を読まれた方は「あぁ、あの人!」と思われたことと思います。

この時代は日本書紀に「初めて国を統治した天皇」と書かれている崇神天皇及 びその子供の垂仁天皇の時代で、「銀の海金の大地」に出てくる日子坐(ひこ います)やその息子、道主(みちのぬし)達が活躍した時代です。年代的には 4世紀始め頃と考えられます。つまり卑弥呼の時代から40〜50年ほど経過 した頃です。臺與がもし生きていれば60歳くらいでしょう。

大闇見戸売(おおくらみとめ)というのは氷室氏が指摘している通り、闇を見 る力のある人、つまり大予言者・大占い師という意味だと思います。実際に巫 女として神に仕えていたのかも知れません。この時代の超実力者である日子坐 は狭穂(さほ)の姫君であるこの大闇見戸売との間に4人の子供を設けており、 その中の狭穂姫と呼ばれる姫が垂仁天皇の最初の皇后になります。

しかし狭穂姫の兄の狭穂彦が垂仁天皇に対して反乱を起こしたため、狭穂姫は 兄のもとへ行き、運命を共にします。そしてその後は、狭穂姫の遺言に従い、 道主の娘の日葉酢姫(ひばすひめ)が皇后に立ちます。

この時、狭穂姫は最初兄から「夫と兄とどちらが大事か?」と聞かれ「兄です」
と答えたために、兄から天皇の暗殺を依頼され、匕首を寝室に持ち込むのです が、どうしても殺すことができず、涙を流して、その涙で目をさました天皇に 謀反の計画を告白してしまいます。しかし反撃に出た天皇側に安寧に居座るだ けのずうずうしさも持つことはできず、兄の元に走ってしまいます。

そして、兄の城で天皇の子供ホムチワケ王を産み落としますが、敗色濃厚な中 で子供だけは天皇のもとに返すことにします。天皇は子供を受け取る時に一緒 に母親も取り返すように部下に指示するのですが、部下が子供を受け取った所 で母親の手をつかもうとすると、手に巻いていた玉の緒が外れ、髪をつかむと、 髪がするりと抜け落ち、服をつかむと服は簡単に破れてしまって、結局捉える ことができなかったといいます。つまり狭穂姫も相当の覚悟を決めて用意をし ていたということでしょう。

「銀の海・金の大地」では大闇見戸売の双子の姉の子供たちが主人公として活 躍する訳ですが、この子たちは氷室氏のオリジナルです。この、資料の非常に 少ない時代の物語を生き生きとまとめあげた作家の想像力はやはり大したもの ですね。「銀金」では主人公たちは超能力と言っていいほどの霊的なパワーの 持ち主として描かれていますが、「大闇見戸売」とまで呼ばれた姫の力という のは、やはり相当のものだったのではないでしょうか。

時に大和朝廷は日子坐らが先頭に立って北陸・東海・西海・丹波と軍を派遣し て勢力範囲を大いに拡張しており、こういう戦争の際に巫女に課せられた責任 は当然重かったものと思われます。全くの想像ですが、実際に戦績があがって いることから判断して、卑弥呼が操ったかも知れないシャーマニスムのような ものだけではなく、むしろ遁甲のような技術も持っていたかも知れません。有 力氏族である狭穂一族の姫ですから、大陸からの資料もある程度入手できたの ではないかと思われます。

なお、日子坐の子供には、この狭穂姫・狭穂彦と後継者である道主の他に、あ と一人重要な子供、真若王(まわかおう)がいます。そしてこの真若王のひ孫 が次回取り上げる神功皇后になります。

また、先に述べた日葉酢姫と垂仁天皇の間の娘に倭姫(やまとひめ)がいます。
彼女は天皇から天照大神の祭祀を命じられ、何年もの間大和から美濃まで歩き 続け、やがて伊勢の地に至ってお告げを得て、伊勢神宮を建てました。

また、今回のシリーズには登場しませんが、継体天皇の母は垂仁天皇の子孫と いう関係になっています。継体天皇は父も母も天皇家の血を引いていたからこ そ、血筋の途絶えてしまった天皇家宗家を継ぐことができたのでしょう。


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