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↑ 世界宇宙飛行の日(4.12)


4月12日は「世界宇宙飛行の日」です。これは1961年のこの日、ソ連の宇宙
飛行船ボストーク1号でガガーリン少佐(1934-1968)が人類で初めて宇宙に
行ったことを記念するものです。

ロケットというものが発明されたのは中国であるとされ、11世紀頃の中国の
文書に「火矢」という名前で出てきます。日本では13世紀の蒙古襲来の時に
モンゴル軍が武器として大砲やロケット弾を使用して苦戦し、この時日本で
も真似してロケットを試作したのではないかとも伝えられますが詳しいこと
は分かりません。しかし少なくとも16世紀頃までには製造技術が確立し、
「龍勢」などと呼ばれていたようです。

近代ロケットはアメリカのロバート・ゴダード(1882-1945)が第一次世界大
戦中に開発した技術が基礎になっています。彼は液体ロケットを開発し1918
年にはロケットの発射実験に成功しますが、戦争が終結したため開発は中断
します。

しかし第二次世界大戦が始まるとまた各国でロケット開発が進められました。
その中で最も優れた成果をあげたのがドイツのウェルナ・フォン・ブラウン
(1912-1977)のチームで、このチームの開発したV2ロケットは戦争中イギ
リスに多大の被害を与えます。なおVはVergeltungs-waffe(報復兵器)のVです。

戦争が終わるとロケットの開発所をソ連軍が占領し、数千人の研究者のほと
んどはソ連に連行されそこでロケット開発が継続されることになります。し
かしリーダーのブラウン博士ら100人は別の基地におりそこはアメリカ軍に
占領された為、彼らはアメリカに連行されてアメリカのロケット開発に従事
することになりました。ここから戦後のアメリカとソ連の宇宙開発競争が始
まります。

先行したのは常にソ連でした。初めて人工衛星を飛ばしたのはソ連で1957年
のスプートニク1号、これに対してアメリカ初の人工衛星エクスプローラ1号
は翌年1958年です。有人飛行でもガガーリンを乗せたボストーク1号が1961
年に飛んだのに対しアメリカは翌年1962年にフレンドシップ7号でやっと成
功させます。ソ連に先行されたことにいらだったアメリカは1961年、ケネデ
ィ大統領が「アメリカは1960年代の内に必ず月に人類を送る」と宣言、これ
は1969年7月20日、アポロ11号で実現しました。

その後アメリカは機体の再利用が可能な「スペースシャトル」の開発をすす
めますが、一方のソ連は安価な量産型のロケットを開発し、結果的には現在
でもロシアの使い捨てロケットの方がスペースシャトルより安価に打ち上げ
ることができる状況です。またアメリカ・日本・欧州などの宇宙ステーショ
ン計画はやっと本格的準備が始まった所ですが、ソ連−ロシアの宇宙ステー
ションミルは10年以上運営されてもう引退の時期になりました。

日本の宇宙開発は終戦で中断した後1955年東大のペンシルロケットで再開、
1970年に国産初の人工衛星「おおすみ」打ち上げにこぎつけます。現在はH1
ロケットからH2ロケットへの移行がちょっと失敗し、H2の次のH2Aへ移行し
ようとしている所です。

36年前のこの日宇宙を飛んだガガーリンは『地球は青かった』と言いました。
1963年に世界で初めて宇宙に行って「帰ってきた」女性テレシコワは『私は
カモメ』。アポロ11号で人類の月への第一歩を記したアームストロングの言
葉は『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな跳
躍だ』。

アームストロングは後にイスラム教に改宗して修行者になります。また、ア
ポロ14号に乗ったミッチェルは超能力研究所を設立、アポロ15号に乗ったジ
ム・アーウィンは神の伝道師になります。日本人として初めて1990年12月2
日に宇宙を飛んだTBSの秋山豊寛はその後会社を辞め、福島県で農業をやっ
ています。

古来天には神がいると言われていました。飛行機やロケットが空を駈けるよ
うになった時、保守的な宗教者たちは「神様の存在する場所」を説明できな
くなって非常に困ったようです。アポロが月から送ってきた映像なども「あ
れはどこかの砂漠で中継しているに違いない」などと無茶なことを言いった
りしました。

しかし、宇宙から戻ってきた人の行動を見ると、やはり天には神がいたのか
も知れません。


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