戦後の宇宙開発は常にソ連が先行していました。このアメリカの成功の前
年1957年にソ連は初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げています。そ
して1961年にソ連のガガーリンが初の有人宇宙飛行。アメリカは1年遅れ
の1962年。月にロケットを一番乗りさせたのもソ連で、ソ連書記長はその
時「いづれアメリカも月に到達するであろうが、その時ソ連の国旗はアメ
リカの同朋を暖かく迎えるであろう」などと、アメリカにとって屈辱とも
いえる発言をします。
これがアメリカを奮起させ、アポロ11号による人間の月到着(1969)となる
訳です。
しかしその後はアメリカはスペースシャトルの開発、ソ連は宇宙ステーシ
ョンの運営の方に力を注ぎ、月に人間を送り込むなどという危険度は高く
費用もべらぼうに掛かる上に実用的メリットの少ない企画は行われなくな
ってしまいます。
アポロ11号で人類史上最初の月への1歩を刻んだアームストロングも随分
後に「生きて帰って来れる確率は半分くらいかな、と覚悟していた」とい
ったようなことを言っています。