ロケットというものが発明されたのは中国であるとされ、11世紀頃の中国の文 書に「火矢」という名前で出てきます。日本では13世紀の蒙古襲来の時にモン ゴル軍が武器として大砲やロケット弾を使用して苦戦し、この時日本でも真似 してロケットを試作したのではないかとも伝えられますが詳しいことは分かり ません。しかし少なくとも16世紀頃までには製造技術が確立し、「龍勢」など と呼ばれていたようです。
近代ロケットはアメリカのロバート・ゴダード(1882-1945)が第一次世界大戦 中に開発した技術が基礎になっています。彼は液体ロケットを開発し1918年に はロケットの発射実験に成功しますが、戦争が終結したため開発は中断します。
しかし第二次世界大戦が始まるとまた各国でロケット開発が進められました。
その中で最も優れた成果をあげたのがドイツのウェルナ・フォン・ブラウン
(1912-1977)のチームで、このチームの開発したV2ロケットは戦争中イギリ
スに多大の被害を与えます。なおVはVergeltungs-waffe(報復兵器)のVです。
戦争が終わるとロケットの開発所をソ連軍が占領し、数千人の研究者のほとん どはソ連に連行されそこでロケット開発が継続されることになります。しかし リーダーのブラウン博士ら100人は別の基地におりそこはアメリカ軍に占領さ れた為、彼らはアメリカに連行されてアメリカのロケット開発に従事すること になりました。ここから戦後のアメリカとソ連の宇宙開発競争が始まります。
先行したのは常にソ連でした。初めて人工衛星を飛ばしたのはソ連で1957年の
スプートニク1号、これに対してアメリカ初の人工衛星エクスプローラ1号は翌
年1958年です。有人飛行でもガガーリンを乗せたボストーク1号が1961年に飛ん
だのに対しアメリカは翌年1962年にフレンドシップ7号でやっと成功させます。
ソ連に先行されたことにいらだったアメリカは1961年、ケネディ大統領が「ア
メリカは1960年代の内に必ず月に人類を送る」と宣言、これは1969年7月20日、
アポロ11号で実現しました。
その後アメリカは機体の再利用が可能な「スペースシャトル」の開発をすすめ ますが、一方のソ連は安価な量産型のロケットを開発し、結果的には現在でも ロシアの使い捨てロケットの方がスペースシャトルより安価に打ち上げること ができる状況です。またアメリカ・日本・欧州などの宇宙ステーション計画は やっと建設が始まった所ですが、ソ連−ロシアの宇宙ステーションミルはもう 10年ほど飛んでいて、そろそろ老朽化が問題になってきています。
日本の宇宙開発は終戦で中断した後1955年東大のペンシルロケットで再開、1970 年に国産初の人工衛星「おおすみ」打ち上げにこぎつけます。現在はH1ロケット からH2ロケットへの移行期になっており、まだ重量衛星や有人宇宙船の打ち上げ はできませんが、衛星打ち上げの成功率世界一の技術を誇っています。
36年前のこの日宇宙を飛んだガガーリンは『地球は青かった』と言いました。
1963年に世界で初めて宇宙に行って「帰ってきた」女性テレシコワは『私はカ
モメ』。アポロ11号で人類の月への第一歩を記したアームストロングの言葉は
『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが人類にとっては大きな跳躍だ』。
アームストロングは後にイスラム教に改宗して修行者になります。また、アポロ 14号に乗ったミッチェルは超能力研究所を設立、アポロ15号に乗ったジム・アー ウィンは神の伝道師になります。日本人として初めて1990年12月2日に宇宙を飛ん だTBSの秋山豊寛はその後会社を辞め、福島県で農業をやっています。
古来天には神がいると言われていました。飛行機やロケットが空を駈けるように なった時、保守的な宗教者たちは「神様の存在する場所」を説明できなくなって 非常に困ったようです。アポロが月から送ってきた映像なども「あれはどこかの 砂漠で中継しているに違いない」などと無茶なことをいったりしました。
しかし、宇宙から戻ってきた人の行動を見ると、やはり天には神がいたのかも知 れません。