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長崎本線
【本線】

長崎
ながさき

浦上
うらかみ
→長与経由

現川
うつつがわ

肥前古賀
ひぜんこが

市布
いちぬの

喜々津
ききつ
→長与経由

西諫早
にしいさはや

諫早
いさはや
【長与経由】

浦上
うらかみ
→本線

西浦上
にしうらかみ

道ノ尾
みちのお

高田
こうだ

長与
ながよ

本川内
ほんかわち

大草
おおくさ

東園
ひがしその

喜々津
ききつ
→本線

【長崎→諫早】
長崎→諫早(いさはや)。長崎本線(JR九州)。長崎を出て次の駅、浦上でこの
長崎本線は、長与まわりと現川まわりのふたつのルートに別れます。元々の
ルートは長与まわりなのですが、山越えの線路で非電化区間です。現在は長い
長崎トンネルを突っ切る現川ルートがメインになっていて、特急などはこちら
を通りますが、普通列車は長与まわりもたくさん走っており、地域の人達の
足として重要な役割を果たしています。

ふたつのルートは大村湾最奥部の喜々津で合流し、その次がもう西諫早・諫早
です。

私は長崎県北部の佐世保の出身ですが、佐世保は文化的に長崎と切れていて、
松浦文化圏の中にあり、長崎市より福岡市との関係が強い所です。そのせいか
長崎市には実はあまり行ったことがなく、どう考えても6回くらいしか行った
ことはないと思います。しかし中華街で食べた皿うどんは美味でした。

長崎で「皿うどん」と言えば、固い麺の上に中華風の片栗粉でとろみを付けた
具入りの汁を掛けたものです。ここで揚げていない麺を使うのを「皿うどん」
といい、揚げた麺を使うのを「焼きそば」といいます。柔らかい麺を使って
汁がたっぷりのものが「ちゃんぽん」ということになるでしょう。

長崎というと「蛇踊り」などが有名ですが、これは10月7〜9日の「おくんち」
の出し物です。おくんちは町内持ち回りで出し物を出しますので、出し物の
内容は毎年違います。その年に何があるかは事前に観光協会などに確認してか
ら見に行かないと、がっかりする場合もあるでしょう。

「おくんち」の出し物のひとつ「こっこでしょ」を私は以前、京都由来のもの
と書いたのですが、実はちょっと根拠が分からなくなっています。私のサイト
以外でも確かに京都伝来と書いているサイトが幾つかあるようなのですが、
根拠の明示がされている所を見つけ切れません。。。。。確かに私は以前京都
でこれと似たお祭りが行われているのを見た記憶はあるのですが、それが何の
お祭りか特定できません。祇園祭りのお稚児さんを載せた鉾などはある程度
似ているといえば似てますが、あんな荒っぽいことはしませんし....謎です。

長崎は江戸時代には日本で唯一の対外貿易の行われる場所として、文化と商業
の大きな拠点として栄えました。当時の「出島」の位置は正確な所は微妙に
分からなくなってしまっているようですが、長崎奉行所に勤務したら数年間で
一生暮らせるくらいの財産が出来る、などという話もあったそうで、おそらく
当時は大坂・江戸に匹敵する、巨大な資金がここで動いていたのでしょう。

長崎のもうひとつの顔は被爆都市としての顔で、爆心地一帯は現在平和公園と
して整備されており、爆心地の北側の丘陵に北村西望作「平和祈念像」があり
ます。近くには原爆資料館もありますが、子供の頃町内会の旅行でここを訪れた
私は、かなりのトラウマになりました。感受性の強い人にはお勧めできません。

長崎の名物のひとつ「眼鏡橋」は長崎の商店街のそばを流れる中島川に架かる
小さな石橋です。1982年の長崎大水害の時に破壊されてしまいましたが翌年、
同じ場所に復元。私は1979年の4月にこの橋のそばで友人と待ち合わせした事が
あり、その時かなり待たされたお陰で古びた橋の記憶が鮮明だったので、後に
復旧されて新しい白い漆喰が目立つ橋を見た時には、とても寂しい気持ちに
なりました。

諫早のことまで書きたかったのですが、長くなりましたので次回にします。

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