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return YS11開発


戦前・戦後を通じて、唯一、日本で開発され普及した旅客機であるYS-11は
1962年8月30日7時21分、名古屋空港を離陸、初飛行に成功しました。

敗戦後、GHQは軍備解体のため、国内の飛行機を軍用機・民間機に関わら
ず全て破壊させ、航空機の開発研究を禁止しました。それが解禁されるのは
ようやく1956年になってのことです。

この1956年5月、通産省は新国産航空機の開発構想を発表。ここに日本の航空
業界の総力が結集されることになりました。

当時アメリカの航空会社は150〜200人も乗れる大型機の開発を進めている最
中で、完全に出遅れた日本がそこに食い込むのは無理と思われました。また
小型機ではアジアや南米などの諸国がすぐに追いついてくることが予想され
たため、日本としては40〜50人程度が乗れる中型機の開発を選択したのです。

戦前の航空機開発に携わっていたメンバーが再び集まり、昔の戦闘機の設計
をベースにものすごいスピードで開発は進み、1962年7月11日に1号機がロー
ルアウト、この日の初飛行にこぎつけました。この1号機は現在成田の航空
博物館に展示されています。

そしてこの年10月には全日空が20機を予約。64年に国内の型式証明、65年に
はアメリカの型式証明を得て、世界的に販売することが可能になります。そ
して全部で182機が製造され、内3分の1くらいは海外に販売されました。

その後、航空業界では1968年ボーイングが「ジャンボ」の愛称で親しまれて
いるB747(約350人乗り)を開発、飛行機はますます大型化していきます。その
中、日本はYS-11に続く次世代の中型機として200人程度が乗れる航空機の開
発に取り組もうとしますが、挫折します。多額の貿易不均衡をバックにアメ
リカが自国の航空機を購入するよう強く働きかけ、その圧力に屈してしまっ
たのです。おかげで、短距離離着陸機「飛鳥」なども開発が中止されてしま
いました。

結局その後の日本の航空産業では、B767の開発に共同参加したり、ブラジル
の航空機産業育成を支援したりした他はあまり成果がなく、自衛隊の練習機
は作ってはいるものの、民間機としては三菱の小型機MU-300(私は個人的に
この飛行機のファンである。カッコイイ!!)なども国内ではほとんど売れず、
ビーチクラフト社に権利を譲渡することになってしまいました。

一方のYS-11は開発されてから30年以上もたった今もいまだに地方航路で現役
でがんばっています。基本的には航空機の寿命は20年なのだそうですがYS-11
はとにかく初めてのことだったため、必要以上に頑丈に作られており、製造
時には80年ほど飛べる設計がなされているとのことです。まだあと10年くら
いは飛び続けてくれるのかも知れません。


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