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written by lumi on 和服の基礎知識(9)和服の歴史
このあたりで和服の歴史を紐解いてみましょう。

現在の和服の原型ができたのは平安時代です。弥生時代頃までの衣服は埴輪
などから想像するしかないのですが、貫頭衣のようなものや、筒袖の上衣に
ズボン型の袴を履いた服装などがあったようです。それが5〜6世紀ころに
なると中国の文化が盛んに輸入され、唐風の衣装が(上流階級には)普及しま
す。しかし平安時代の中期に菅原道真により遣唐使が廃止されると、中国式
とは異なった純和風の衣服が発達し始めるのです。

当時の男性貴族の第一礼服は束帯(そくたい)姿です。頭には冠、上は袍(ほう)
を着て、下は袴(はかま)。足は足袋に靴、腰には太刀を下げ手に笏(しゃく)を
持ちます。この時下着として付けていたのが帷子(かたびら)や小袖(こそで)
です。

女性貴族の場合はいわゆる十二単(じゅうにひとえ)ですが、単(ひとえ)という
下着の上に袿(うちき)を3〜25枚(!)ほど付けて、その上に打衣・表衣・唐衣を
着ます。下は裳(も)つまりスカートです。平均して12枚くらいの重ね着という
ことで十二単といいますが袿を25枚も重ねたらこの装束の総重量は恐らく30kg
くらい。体力がなければ貴族は務まらなかったでしょう。後には単の下に小袖
を着るようになりました。

さて、平安時代の後期には男女とも一番下に着るようになっていた小袖(こそで)。
実はこれが現在の着物の表着である長着(ながぎ)のルーツです(*1)。つまり、
平安時代の人から見たら、現代の和服はまるで下着だけで出歩いているよう
に見えて、とんでもないでしょう。

ただ一般的に服装の歴史というものは下位の服装が上位の服装を駆逐して主役
に躍り出て行くもののようです。それはインナーが次第にアウターに出ていく
という意味と、ラフな服が次第にフォーマルな服に格上げされていくという
意味があります。平安時代には下級貴族の服装であった狩衣(かりぎぬ)が鎌倉
時代には武家の第一礼装となり、その簡略化されたものとして水干(すいかん)、
直垂(ひたたれ)などが派生(*2)しますが、室町時代には直垂が第一礼装の座を
獲得してしまいます。

女性の服装もどんどん簡易化され、まず裳の代わりに袴を着用するようにな
り、やがてその袴も省略されます。そして小袖が主役に躍り出て小袖を数枚
着重ねる打掛け姿が登場しました。

江戸時代は小袖の全盛時代で男女とも小袖を普段着から礼装にまで応用して
いました。武士の正装ではこれに裃(かみしも)を付けますし、女性は振袖・
留袖といった形式が成立します。

江戸初期の宮崎友禅斎は京都で華麗な後染めの着物「京友禅」を開発します
が、彼を評価した加賀の前田綱紀(*3)の招きで金沢に移り更に「加賀友禅」
を生み出しました。

友禅斎が活躍した元禄時代には町奴たちが女物の小袖をだらしなく着て街を
歩き回り、最近でいえば1960年代のヒッピーと同様、庶民のファッションに
強い影響を与えました。これ以降、町人の衣服はどんどん華やかになって
いきます。あまりに華美に走ったことから幕府は何度か贅沢禁止令を出して
いますが、すると表着にはあたかも質素に見えるような服を着て、内側に
豪華な服を着る、秘かなおしゃれなどというのも流行したりしています。

そういったおしゃれの発展の中で特異な発展を遂げたのが女性の帯で、最初は
単に服を留めるための細いものだったのが次第に贅沢な品に変化して幅もどん
どん広くなっていきます。そして最初は衣服の前で結んでいたのが、江戸末期
の遊郭で後ろで豪華な結び方をして、それを帯揚げ・帯締めで支える方法が
生まれ、これがその後一般女性の間にもあっという間に普及してしまいました。

江戸時代の後半のファッションリーダーは遊郭の太夫や人気歌舞伎役者です。

明治になると着物もまた新しい時代を迎えます。洋服の影響から和服の改良
運動が起こり、明治後期から大正時代にかけて現在の和服の形式がほぼ確立
します。名古屋帯のような便利な発明もこの時期に出てきたものです。

そして「簡単に着れる着物」という考え方は戦後ますます強くなり、汚れに
強い化繊の着物、洋服感覚で着られる上下セパレート型の着物などといった
試験的な商品も提案され、新たな境地を見いだそうと模索しています。

(*1)長着というのは要するに、小袖の中で、内側に綿などは入れられておらず、
  肩から足首近くまでの着丈を持つもののことです。この名前が定着した
  のは昭和初期のことのようです。

(*2)水干などの派生自体は平安中期頃には既に起きていた模様。

(*3)しばしば3代前田利常公と書いている文献があるのですが時代が合いませ
  ん。確かに利常公は文化興隆に尽くした人で、江戸の隠密対策で物狂いの
  真似をしたことでも有名なのですが、1639年に隠居しています。友禅斎が
  加賀に移ったのは1712年ですので、5代綱紀の時代です。



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