これは実は前回の「うそつきのパラドックス」を数学的に純化したものです。
次のような集合を考えます。
A = {x|¬(x∈x)} (自分自身を含まないものの集合)
この世の多くの物は「自分」を含みません。例えば茶筒は茶の葉を集めたもの ですが、茶筒の中に茶筒自身は含まれていません。茶筒の中に自分自身が入っ ていたら、そこを開けると、その中にまた自分が入っているわけで、合わせ鏡 の中の映像みたいな状態になっていることになります。
B={x|xは美味しい} というものを考えた時、BはBには含まれません。Bは単なる 集合ですから、味などありません。もっと分かりやすいたとえで言えば美味しい 料理の写真が載った本自体は食べても別に美味しくありません。
図書館は本を集めたものですが、図書館自身は図書館の収蔵品ではありません。
国立国会図書館の中に入ってみたら、その中に国立国会図書館自身があった!!
なんてことはありません。
クラインの壺みたいな状態になっていたら、国立国会図書館の入口を入って 少し歩いていたら、またさっきの入口のところに戻っていたということはある かも知れませんが、その場合「含まれている」といえるかどうかは微妙です。
C={x|xはxと等しい} というのはどうでしょうか? 自分自身と等しくないもの というのがあるとは思えません。ですから C 自身も C に含まれるものと思われ ます。ですから、抽象的な概念の中には x∈x が成り立つものもありそうです。
昔私のパソコンでディスク障害が起きた時に面白い状態が起きていました。
Work/MyDocument/Received/
というフォルダの中を見たら Received というフォルダが表示されます。
何だこれは?と思ってそれを開いてみると、なんと自分自身が開かれたの
です。この時、Received というフォルダの中に Received というフォルダ
自身が含まれていたことになります!!
このフォルダの削除を試みたのですが「中身があるから消せない」と言って きます。その中身というのは Received 自身のみだったのですが(^^;
このディスクは結局フォーマットしました。
さて、問題の最初にあげた A ですが、これは自分自身を含むでしょうか?
もしAがAを含むなら、Aは ¬(x∈x) という条件を満足していますから ¬(A∈A)。
つまりAはAを含まないことになります。しかしAがAを含まないなら、¬(x∈x)
という条件を満足していないということになりますから A∈A。つまりAはAを
含んでいます。
これが「嘘つきのパラドックス」と同じ形式であることは分かると思います。
カントールを責めていた人たちも、カントールが亡くなると「これは何とか しなければならない」という気持ちになります。なにしろ上記のパラドックス には、この宇宙に対する公理はひとつも使われておらず、単純に論理だけの 世界で矛盾が発生しています。
つまり、このパラドックスが存在しているということは、それまで人類が 使ってきた論理学自体に欠陥があることを示しており、その上に成り立って いる、ルネッサンス以来の近代科学が全て崩れてしまうことになります。
その問題に答えを出したのは1908年のツェルメロ(Ernst Zermelo,1871-1953) の論文でした。カントールに始まる、これら数学の基本部分に関する考察は、 現在「数学基礎論」と呼ばれています。ツェルメロがどのようにこの問題を 解決したのかということと、その後の発展についてはこの連載の最終回に 述べたいと思います。