カバラと生命の樹

カバラとは

カバラ(Qabalah)は一言でいえばユダヤの神秘思想ですが、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は聖書の冒頭の5書(創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記)を共有していますので、結果的にはキリスト教徒にもかなり親しみやすい理論体系です。それは西洋の様々な哲学に大きな影響を与えています。またカバラ自身が発達段階においてその西方三大宗教およびミトラ教・ゾロアスター教・バアル教などからも強い影響を受けています。現在カバラの重要な理論書として下記の3つが挙げられています

創造の書(セフェール・イェツィラー,形成の書とも)
3〜6世紀頃の成立。「生命の樹(次項で解説)」やヘブライアルファベットが持つ意味について解説している。
光明の書(バヒル)
12世紀の成立。生命の樹を二元論的にとらえ、マクロコスモスとミクロコスモスの対応などの考察も行っている。
光輝の書(ゾハール)
13世紀の成立。光明の書が充分消化しきっていなかった部分を整理し、生命の樹に関する解釈を完成の域に到達させた名著。

生命の樹について

「生命の樹(せいめいのき,tree of life)」とは、左図のような図形です。10個の円形の「セフィロト(sephiroth, 単数形:sephirah)」と、それらを結ぶ22本のパス(path)でできています。基本的には下の方が人間の領域に近く、上の方は神の領域に近くなります。

生命の樹には様々な解釈ができるのですが、最もよく知られているのは、これが瞑想をする時の意識の状態を表すというものです。通常の状態から瞑想に入り、最初にたどりつくのが一番下のマルクト。ここから少しずつ意識を高揚させていけば、理論的には一番上のケテルまで到達できる筈なのですが、ケテルまで到達して、生きたまま戻ってくるのは、普通の人にはほとんど困難です。たいてい行きっぱなしになりそのまま肉体は死んでしまいます。これは仏教でいう「彼岸(ひがん)」の世界に似たものです。仏教では彼岸(=涅槃)まで到達して戻ってこられた人のことを「如来」と言うわけです。

しかし実はそこまでの危険を冒してケテルまで到達してもその上にすぐ神の世界があるわけではありません。ケテルは実は私たちが感じることのできる生命の樹のひとつ上のレベルの生命の樹のマルクトにすぎないのです。そこから更に上のレベルの生命の樹をたどってその生命の樹のケテルまで到達すると、またその上のレベルの生命の樹があってそこはその3つ目の生命の樹のマルクトになっています。こうして最低でも3つの生命の樹があることがカバラの2000年に渡る研究により知られています。

その先がどうなっているかは分かりませんが、そのようなたどりかたをしてもどうしても到達できない所にアイン(0)と呼ばれる領域があります。そしてアインに到達する手段を何度も重ねることによってどんどん深い世界に到達することができますが、そのやり方ではどうしても到達できない所にアイン・ゾフ(∞)という領域があります。そのアイン・ゾフに到達する方法を繰り返すことでまた更に深い世界に行けるのですが、そういうやり方をどんなに繰り返しても永遠に到達できない領域があり、それをアイン・ゾフ・アウル(ooo)といいます。集合論で言えばアインが最少の無限 ω (aleph0) アイン・ゾフが実数の濃度 aleph アイン・ゾフ・アウルが最初の到達不能数 ε あたりかも知れません。


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