易の歴史

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周王朝の始まりと共に

易の技術を確立したのは中国の周王朝(BC1027-770)の創始者・文王とされています。文王は一時期、殷の最後の王である紂王に軟禁されますが、その間に易の占い方をまとめたとされます。殷では国家の占いに主として亀卜を使用しており、王朝が交替するに際して、文王は新しい国家の占いを創設したのです。当時、占いは国の政策決定に大きな力を持っていました。

ちなみにこの時期のことを書いた小説が「封神演義」で、文王とその子である武王の2代に仕えた軍師が釣り人の代名詞となっている太公望(別名:呂尚・姜子牙)です。その後、易の解説書は「易経(えきけい,イーチン)」の形にまとめられますが、その本体である「卦辞」「爻辞」の部分の大半が文王が定めたものといわれています。なお易経のその他の部分である「十翼」は孔子(BC551-479)が書いたものです。

漢代の象数易と揺り戻し

周王朝の後は春秋戦国時代を経て項羽との戦いを制した劉邦が漢帝国を築きます。この漢の時代(BC202-AD222)に発達したのが、象数易というものです。この時代の易は周の時代の易とは似ても似つかないもので、とても数理的な易になっています。日本では単に「易」というと、周時代の易<周易>を指すのですが、漢の時代の易<漢易>もプロの易者にとってはもうひとつの重要な技術となっています。

漢易は合理的な考え方に基づいてはいましたが、それで本当にいいのかという疑問を持つ人も現れます。

三国時代の王弼(AD226-249)は老荘思想をベースに「周易注」などを著し、周の時代の易(義理易)の復興を提唱しました。彼の働きにより易には周易と漢易のふたつの立場が生き残ることになりました。 更に南宋時代の朱子(1130-1200)はこれまでにあった色々な易を統合して天地自然の易を確立します。結局、彼の思想が現代につながる易の考え方のベースとなりました。

西洋で注目される

近代以降、西洋では様々な東洋思想が注目されますが、特に道(タオ)の考え方は多数の思想家に影響を与え、道との関連で易も注目されました。

微積分学の祖として知られるライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646-1716)は易の卦が陽爻と陰爻という二種類の図形で出来ている、つまり二進数で出来ていると考え、彼のモナド論にも絡めて様々な思索をしました。

また分析心理学の祖であるユング(Carl Gustav Jung,1875-1961)は易の中に潜むシンボリズムが彼が追求した『集合的無意識』と関わっていることに気づき、易の各々の卦が一種の『元型』ではないかと想像しました。

なお、西洋では「易経」の中国語読み「イーチン」自体がこの占術の名前として通用しています。スペルはIching, Ijing, Yiking, などなど揺れがあるようです。「易経」はBook Of Changeと通常訳されますが、中にはIching というのがそもそも「易経」のことであったことを忘却されて Book of Iching などと「馬から落馬」みたいな言い方をしているものもあるようです。


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