タロットの風景より『審判』
written by Lumiere on 93/06/11 11:51
大天使ガブリエルがラッパを吹き、死者たちが墓の中からよみがえって、
最後の審判を受ける。タロット大アルカナ22枚の中で、最もキリスト教的
色彩の強いカードと言われる。
以前この「最後の審判」という話を聞いてどうも不思議だったのは、この世の
終りになって復活したって、どうせこの世が終ってしまうのだったら意味無い
のではないか? そこで判決が下されてどういう意味があるのか?? という
ことだったが、どうも1つの世が終って新たな世が始まるということのようだ。
しかし、絵はキリスト教的にまとめられているが、仏教の世界でも釈迦入滅後
56億7千万年後に弥勒菩薩が出現して衆生を救済するという思想があるから
意外と世界共通に存在する概念なのかも知れない。浮世絵タロットの「審判」
など、ほんとに弥勒菩薩が描かれている。
このカードが(正位置で)出たときというのは、何かに最終的な決断が下される
とき。試験の結果が出る。プロポーズの返事が返ってくる。仕事の発注先が決る。
そういったことが起きる時だ。文字通り、審判−裁判の結果が出るということも
あるであろう。審判を受ける側としてはまさにまな板の上の鯉。
古い時代の裁判の小道具として探湯というものがあった。熱湯の中に手を入れて
火傷しなかったら、あんたの言うことは正しい、というもの。外国では毒蛇の
入っている箱に手を入れて噛まれなかったら、言い分を認めるというのもあった
ようである。かなり無茶なやりかたと思うが心にやましい事がある者はそれを
受ける前にビビッてしゃべってしまったかも知れない。幾ら古代の人類がおおらか
であったとしても、実際にそれだけで罪非を決めたとはちょっと思えない。
遠山の金さんなどで「ふとどきセンバン。市中引き回しの上獄門!」などと奉行が
叫んだりする場面などもあるようだが、実際は江戸時代でも死罪を言い渡すには
老中の認可が必要であった。現代の日本で法務大臣によってはなかなか死刑の
命令書に判をおさない人がいるのと同様、なかなか認可を出さない老中もいたと
いう。役職印の入っている袋の紐を今日1回りほどいて、さて、また明日1回り
ほどくかな、などとやっていた人もあるという。
人が人を裁く事の難しさは恐らくかなり古くから認識されていたのではなかろうか。
一方では戦争で散々人を殺しているのに人間というのは不思議な生き物である。
しかし、神ならば果して正しく裁くことができるのだろうか。
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