タロットの風景より『正義』
written by Lumiere on 93/06/09 04:06
裁判の女神が剣と秤を持って立っている。このカードはそのものずばり
『秤(balance)』と呼ばれることもあるし、更に進んで『調整』と呼ばれる
こともある。剣を持つのは、その計量に絶対性があることの象徴か。
しかし『正義』というものほど訳の分からないものはない。この世の中に
いる人間の数だけの「正義」があるのではないかとさえ思う。旧ユーゴ・
スラビアなどでは、今まさにそのようなことが起きている。
唯一神を信仰する民たちにとっては、自分たち以外の民が信仰する神様は
全て悪魔としか考えられなかった。その姿形が自分達にとって美しくない
と思われた場合は尚更である。彼らは武力で制圧した民に「それは邪神で
ある」と主張し、自分たちの信仰を強制して、自分たちは悪魔から彼らを
救い出したのだという正義を信じた。そのようにして人類の歴史には無数
の『解放戦争』が起きた。
私が成長するに従い、その物語のストーリーに対して劇的に評価を変えた
物語に、シェークスピアの『ベニスの商人』がある。初めて読んだのは
小学生の頃だったか。その時私はポーシャの賢さに驚嘆し、シャイロック
はいい気味だと思い、これこそ正義だと思ったものである。しかし。
中学生になってから『ベニスの商人』の完訳本を読んだとき、私はその
評価を180度変えることになった。シャイロックはユダヤ人であると
いう理由だけで、アントニオ達にいつも軽蔑され、蔑まされていた。更に
彼は娘に駆け落ちされ、ショックで沈み込んでいた。その時に、いつも
自分につばを吐き掛けていた連中から、金を貸して欲しいという話が来た
のである。そこで計画した復讐劇もポーシャにより砕かれてしまい、彼は
全財産を失ってしまう。この流れの裏に見えて来るのは陰湿な人種差別。
そしてシャイロックという人は悲劇の主人公である。
という見方も存在するのだ。(^_^;;; というのが実は現在の評価。(^^)
茶筒は上から見れば丸いが横から見ると長方形である。上から見た時の
姿しか知らずに『茶筒は丸い』と主張することも片手落ちだが、横から
見たら長方形だということを発見して有頂天になり『茶筒は実は長方形
である』と主張するのも片手落ちだ。茶筒というものを捉えるのには、
その両方の見方が存在することを認めなければならない。これが、実は
なかなか難しいことのようである。
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