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鵜の瀬とは何か
■お水送りの里 毎年新暦3月(つまり中暦の二月)に奈良の東大寺の二月堂でお水取りと いう行事が行われる。正式には修二会(しゅにえ)というのだが、真冬の一番 寒い時期に閼伽井屋にある井戸から若水を汲み上げて、観音様に捧げるので あるが、そこの井戸に湧き出る水が、この鵜の瀬から送られていると言われ ているのである。 ※閼伽(あか)とは梵語のアルガの音写で水のこと。英語のアクアと同じ語源。 伝説によれば、東大寺の実忠和尚が修二会に諸神を勧請した時、若狭の遠敷 (おにゅう)明神だけが釣りに夢中になっていて、遅刻してしまったという。 しかし修二会の様子に感動した遠敷明神は遅刻したお詫びにと若狭からこの お勤めに水を送ることを約束した。 その時、若狭国の鵜瀬の地の地面の中から白い鳥と黒い鳥が飛び立ち、その 飛び立った後から霊泉が湧き出したという。この水が地中の水路を通って、 東大寺の閼伽井屋に再び湧き出すとされる。この水が内陣の香水として利用 され、須弥壇の下の香水壷に蓄えられ、聖水として信者にも分け与えられる。 鵜の瀬にある水中洞穴に吸い込まれた水は約1年掛けて東大寺にたどり着くと いわれているが、実際には3月2日にお水送りをしたら、東大寺では3月12日に お水取りをしている。 ■上流側から少しずつ降りてきた祭祀 遠敷明神のルーツは鵜の瀬のそばにある白石神社である。遠敷明神は鵜の瀬 にある磐座の上にはじめ若狭彦が、次いで若狭姫が御降臨したという。 お水送りが行われる神宮寺はそこから少し下ったところにある。神宮寺の資料 によれば和銅7年(714)に和朝臣赤麿公が先住民の王を金鈴に表し地主の長尾 明神として山上に祭り、その下に神願寺を創建し、翌年元正女帝により勅願寺 にされたとする。その秋に白石の遠敷明神をお迎えして、ここを神仏両道の 道場とした。 一方若狭姫神社の資料によれば、その神宮寺に遠敷明神が迎えられたという 霊亀元年(715)9月に、それまで鵜の瀬のそばにあった遠敷明神を祭る仮殿を、 現在の若狭彦神社の場所(上社)に遷宮し、更に養老5年(721)2月に若狭姫神社 (下社)が創建されたという。 つまり遠敷明神に関する祭祀は、白石(鵜の瀬)→神宮寺・上社→下社、と 次第に下流へと移ってきているようである。恐らくは白石があまりに山の中 にあるため、もっと便利な上社に遷宮したものの、それでも小浜の町からは 結構登るので、町のすぐそばに新宮としての下社を作り、後に上社・下社に それぞれ若狭彦・若狭姫がおられる、という話に落ち着いたのであろう。