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名田庄と安倍晴明
安倍晴明の子孫は後に屋敷の前の通りの名前から土御門家と称した。 この土御門家は室町時代には応仁の乱による戦禍を避けて、本拠地を かねてから領していたこの名田庄の上庄に移し、同家が所有する膨大な 陰陽道と暦に関する資料もここに移ってきたのである。 陰陽道は賀茂保憲が暦道を実子の光栄に伝え、天文道を弟弟子の晴明に 伝えたため、平安中期以降、賀茂・安倍両家が宗家として技術を維持して いたが、1565年に賀茂在富が跡継のないまま急死して賀茂家が断絶。それ 以降は安倍家が両方の流れを引き継いだ。そして江戸時代初期の安倍泰福 が土御門神道を興している。 明治になると暦は東京大学が編纂することになり、また神道は国家神道の 元に統一されてしまい、土御門家の役割は消滅してしまった。しかし戦後 になってから、土御門家最後の当主・安倍範忠ゆかりの藤田乾堂氏により 天社土御門神道本庁が復興され、また近年にはこの伝統の土地に暦関係の 資料を主として展示する暦会館が建てられて、1000年の伝統を引き継いで いるのである。