賀茂探求(44)カモとアヒル

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written by Lumi on 00/05/26 21:51.

先日、北斗柄さんから、興味ある資料を見せて頂きました。竹内健さんの 「悪神香香背男考」および数点の阿比留文字関連の資料です。

■古代文字、特にアヒル文字

阿比留文字というのは、漢字の草書体のような、あるいは梵字のような、 あるいはタイ文字のような形をした、いわゆる「古代文字」のひとつです。
見たことのある方も多いと思います。

正確に言うと、一般に知られているものは「阿比留草文字」と呼ばれるもの で、この他に朝鮮のハングルに似た直線と円弧で構成された「阿比留文字」
があります。そして平田篤胤はこの「草文字」は「阿比留文字」の草書体で はないかと主張し、この意見が広く知られて、半ば定説になっていますが、 別の系統の文字だとする反論もあります。(ご判断は各自で。実際に両者を 見比べてみて下さい)

北里闌は阿比留草文字がフィリピン古字と似ているとして、この文字は南方 系の文字ではないかとしています。またマレー古字とも似ているという報告 もあります。そのあたりの文字に似ているとすると、私たちが漠然と感じる 梵字との類似性も納得のいくものがあります。

なおハングルに似た「古代文字」としては、日文(ひふみ)、秀真(ホツマ) 文字、などもあります。

阿比留文字・阿比留草文字の資料は全国の神社などに合計数十点残っている ようですが、歴史学者や国語学者はみな無視しているかニセモノと決めつけ ているので、学術的な調査は行われておらず、年代はよくわかりません。

阿比留文字・日文・秀真文字がハングルに似ていて、ハングルは通常1443年 に世宗が制定したものとされていることから、これらの文字の年代は少なく ともそれより新しいとする説は有力です。しかし1443年に世宗が定めたのは 「訓民正音」という「正書法」であってハングル文字自体はもっと昔から あったはずだという主張もあります。

阿比留文字・阿比留草文字は対馬の阿比留氏に伝わるもの、それから東京の 阿伎留神社で発見されたもの、出雲大社で発見されたもの(出雲文字とも)、 などがあります。今回北斗柄さんから見せて頂いた資料は竹内健がこの阿伎 留神社に伝わる梵字のような文字で書かれた歌を暗号解読法を適用して解読 した時の経緯を書いたレポートでした。これは出典を聞きそびれましたが、 多分「地球ロマン」に掲載されていたものではないかと思います。

そして実は私は数々の「古代文字」の中でこの「阿比留草文字」だけは実は ひょっとするとかなり年代の古いものではなかろうか、もしかすると8世紀 程度までさかのぼれるのではなかろうかと漠然と思っています。日文や秀真 文字は整いすぎていて、やはり江戸時代に成立したものではないかという気 がするのですが、これだけは古いかも知れません。

■カモとアヒル

さて、ここでひじょうに興味深いのが「アヒル」と「カモ」という問題です。
つまりこの阿比留系の人たちというのは、賀茂系の人たちと行動範囲が重な っているのではないかという話です。

そもそも中国では「鴨(ya)」という文字はアヒルのことを表します。これら の鳥はガンカモ科に所属しており、ガンカモ科の鳥としては、ガン(カリ,雁)、 カモ(鴨)、白鳥、おしどり、などがいます。アヒルはマガモを家畜化したも の(猪を家畜化して豚にしたようなもの)、そしてアイガモはこのマガモと アヒルのハーフです(猪と豚で言えばイノブタ)。

つまり、カモ、カリ、ガン、オシ、アヒル、これらは類似の名前と見てよい でしょう。

吾郷清彦はまだ調査不十分だがと断った上で、古代文字を残したグループと いうのは、鉱山(主として水銀)関係の仕事をしていた大陸系の氏族である 海部系の部族ではないかとし、この海部系の人たちが、のちに『賀茂一族と』
合体して『えびす』の名前で呼ばれたのではないかと述べています。

彼らが分布し、そして古代文字が見つかっているのが、伊勢の丹生村神宮寺、 日光の二荒山神社、下野郡の赤間古墳、群馬県の貫前神社(上野国一宮)、 石上神宮などであるとしています。吾郷はこのグループが更に物部系とも関 わっているのではとしていますが、これはちょっと疑問です。

貫前神社・石上神宮が物部系なので、そういう発想になったのかも知れませ んが、物部はむしろ葛城臣とつながっています。これは後に蘇我一族・東漢 一族などにつながる系統です。

今回私が追い掛けている賀茂一族(鴨県主・葛野県主など)はむしろ葛城臣 と対立するものであり、その葛城臣が5世紀頃に滅亡したあとの葛城を代わ って管理し、雄略朝を支えたのではないかと考えています。

一般には天神系が天皇家・天孫族で、地祇系が物部家・山の民という色分け がされ、出雲系の素戔嗚神大国主神は地祇系の中心と考えられるのですが、 賀茂一族が信奉する神々はこの地祇系とも関わっていますが、天神系とも深 く関わっています。一言主神味鋤高彦根神事代主神大国主神の系譜と して書かれていますが、賀茂別雷神や賀茂武津之身命高皇産霊神からの 系譜を記録されたれっきとした天神系です。これについては、おそらく最初 は天皇家との関係が弱かったため地祇系にされていたのが、雄略朝の頃から 大和朝廷との結びつきが強くなり、天神系に加えられたのではないか、とも 考えられます。

まぁ、その話はおいておいて、カモとアヒルという連関を考えた時、ここに 「賀茂大神」味鋤高彦根神の名前に関するひとつの説が出てきます。

竹内健はこの神は 鴨(あぢ)鴫(しき)鳧(たかべ)といった鳥の名前が読み込 まれているとします。アヂというのは有鳥(大漢和辞典No.46879)とも書き ますが、アヂガモあるいはトモエガモと呼ばれるものです。シギはシギ科の 鳥で、鴨科とは少し離れていますでしょうか。タカベ(鳧)は現在はコガモと 呼ばれるものです。

※有鳥=

つまり竹内は、賀茂系の一族は好んで鳥の名前をそのシンボルとし、それら の鳥の名前を統合している故にアヂシキタカヒコネの神というのは賀茂大神 なのだと主張します。

ところで、この賀茂大神の同母妹は下照姫ですが、この神は阿加流(あかる) 比売神という別名を持っています。「アカル」と「アキル」。ちょっと似て いますね。

それから、この下照姫は各地でお産と養蚕の女神として祭られています。

ところで例の東京の阿伎留神社で見つかったアヒル草文字の和歌なのですが、 これは正確に言うと、阿伎留神社の摂社の琴平神社にあったもので、この琴 平神社は養蚕の神社です。そしてこの解読された和歌にも蚕のことが書かれ ています。

稲倉戸ゆ此蚕倉は八千矛が鉾の穂尖で突きつさ統べむ
 此蚕は直虫ならず大麻豆乃神の産みます神の蚕なり

「蚕」という字をこの和歌では「おこ」と呼んでいます。これも「あか」に 通じる音の響きを持っています。

この阿伎留神社は元々夷丘(現在のどこかは不明)という場所にあったと阿 伎留神社記は伝えています。この丘からは阿伎留文字が刻まれた銅鍥 (銅製の小刀)が慶長8年(1603)に出土しています。

※鍥(金契)=

よりによって「夷」丘です。

この阿伎留神社にはまだ行ってみていません。いづれフィールドワークに行 きたいと思っています。


(北斗柄さんからのコメント) お見せした資料は

竹内健:「悪神香香背男考」、地球ロマン復刊2号、1976年10月 竹内健:「阿伎留神社神字歌考」、地球ロマン復刊5号、1977年5月 竹内健:「阿比留字本源考 琉球古字と十二干の謎 上」、迷宮1号、1979年7月 竹内健:「阿比留字本源考 琉球古字と十二干の謎 中」、迷宮2号、1979年11月 竹内健:「阿比留字本源考 琉球古字と十二干の謎 下」、迷宮3号、1980年7月

以上だったと思います。


( 3) 00/05/29 07:48 00384へのコメント

水銀の件、少し補足しておきます。

古来より水銀というものは、医療用の薬として、また仙術的な薬として重宝 されてきました。

水銀は辰砂(しんしゃ,硫化水銀HgS,Cinnabar)から取ります。これは鮮やかな 深紅色の鉱物なので朱砂(すさ,しゅしゃ)、丹砂(たんしゃ)、丹朱(たんしゅ)、 真朱(まそほ,*1)などともいいます。

水銀は元々金の精錬過程に使用されるため、金を得るための重要な材料とし て重要視されたようです。また金仏などを作る際には、金アマルガム(金と 水銀の合金)の状態で塗布し、あとで水銀を蒸発させる手法が取られました。

金は何ものにも浸かされず腐食もされない存在。そして水銀はその不滅の金 をうみ出す存在というところから、水銀は不老不死を得るための薬の素材と しても注目されたわけです。

そして中国の歴代の皇帝がこの水銀を含む仙薬を飲んでいました。しかし、 ご存じのように、これは寿命を縮めることになります。数年前、藤原鎌足の 墓を発掘して、中にあった遺体から水銀が検出されたので、こういう事情を 知らない研究者から「毒殺されたのではないか」という説が出たことがあり ますが、これは鎌足が間違いなく、不老不死の薬として水銀を含む薬を飲ん でいたことを示すものと思われます。空海の晩年の病状の記述などから空海 もこの手の薬を飲んでいたのではないかとの説もありますが、高野山は絶対 に空海の廟の調査は許可しないでしょうから、これは仮説のままとなること でしょう。

なお男性は一般にこの手の不老不死の薬で寿命を縮めているのですが、女性 の場合は、この水銀をかなり近年まで、白粉(おしろい)に使用していました ので、これで肌から水銀を吸収し、寿命を縮める例がまた多くありました。

不老不死の薬で身体をこわすと益々、身体を治そうとその薬を飲みます。
白粉の水銀で肌がやられて黒ずむとそれを隠すため白粉を厚く塗ります。

ということで、一度やられた人は、ますますやられて行く傾向がありました。

さて、この水銀の取れる場所というのはしばしば「丹」という字が付いてい ます。そしてこの水銀の守護神ともいうべきなのが、罔象女神(みずはのめ のかみ)や丹生都比売神(にうつひめのかみ)です。

吉野の金峯山というのは、つまり金の産地であり、水銀も採れていました。
この付近に、高野山の守護神である天野の丹生都比売神社、伊勢白粉の産地 である丹生村、吉野の丹生川の、丹生川上神社(御祭神:罔象女神)などが 集中しています。

この金や水銀の産地というのは上記の金峯山同様、後世、修験道の修行の地 になっています。山形県の湯殿山、愛媛県の石鎚山、日光の二荒山、なども 同様。そのほか「にゅう」と名の付くところはだいたい、かって水銀が採れ ていた場所、従って金も出ていたかも知れない場所だと思われます。

山形県 尾花沢付近の丹生川。最上川の支流ですが最上川に合流する前に 「赤井川」と合流します。丹生川沿いに現在でも銀山がありますし、 赤井川沿いには金山という山があります。なお山を越した向こう はコケシで有名な鳴子です。

新潟県 佐渡に入川(にゅうがわ)があります。河口のあるところは入崎。
     川の水源はタタラ山、隣は金剛山。ここは当然金の産地。

群馬県 高崎の近くに丹生湖というのがあります。近くに金井という地名 も見られますが関連は不明。

福井県 鯖江の付近が丹生郡です。その界隈は丹生山地。

敦賀の近く半島に丹生という地名があります。
    
     遠敷(おにゅう)郡にはお水送りの聖地があります。
    
     余呉町の丹生。近くに金井原、金糞岳といった地名あり。
    
     米原のそばの丹生。近くに霊仙山という山があります。

三重県 櫛田川流域の丹生。これが伊勢白粉の産地だと思います。

桑名の近くに丹生川の地名。多度大社の近く。

岐阜県 高山の近くに丹生川村があります。

そこから20kmほど東の乗鞍岳北には大丹生池というのがあり ます。野麦峠の近く。

愛媛県 石槌山近く壬生川(にゅうがわ)。現在は東予市の一部。近くには 丹原町というのもあります。そもそも石鎚山から流れ出す川は 加茂川です。

大分県 臼杵の近くに丹生川。

北海道の「湧別(ゆうべつ)」も関係あるかな?とも思ったのですが、分かり ません。有名な水銀の産地・竜昇殿は、おとなりの紋別市ですよね?確か。

(竜昇殿が書いてある地図がないもので、正確な位置が確定できない。多分 上渚滑(かみしょこつ)の付近ではないかと思うのだけど。。。)


(*1)真朱というと、岡野玲子さんの「ファンシィ・ダンス」のヒロインの 名前ですが、岡野さんですからね。。。わざとかも知れないですね。


(北斗柄さんのコメント) 愛媛県の壬生について 半村良の妖星伝では「壬生」は「乳部」のなまったものとしていましたが、 このあたりは聖徳太子あたりでつながっているかもしれません。

(お返事) 伝説の豊富さについて、聖徳太子・役行者・弘法大師がビッグ3かも 知れません。この聖徳太子伝説の地というのも、どういう分布を反映 しているのか調べてみると面白そうですね。

聖徳太子は道後温泉にも訪れていると伊豫国風土記が書いていますし、 聖徳太子ほどの人がその付近に実際来ていれば、石槌山ほどの聖地に気 づかない方が不思議という気もします。

聖徳太子は蘇我一族ですし、奥さんの刀自子のお母さんは物部守屋の娘 ですね。で、有名な、蘇我馬子が「私の同族がいた土地だから私に管理 させて欲しい」と推古天皇に言い、推古天皇が「身内をひいきしている と思われてはいけない」とか言って却下したのが、葛城県であったりし ます。つまり蘇我の見解としては、蘇我は葛城臣と同族ということなん でしょうね、多分。

ところで、香川県の方に加茂町というのがありまして、現在は坂出市の 一部になっているのですが、これが弘法大師絡みのようです。弘法大師 の伯父(母の兄)で、弘法大師を都の大学に入れた阿刀大足がこの地に 加茂神社を勧請したとのことで、そこから町名が出ていたようです。

阿刀一族からは空海の先駆者・玄肪(筑紫の観世音寺の創始者で、全国 に国分寺を作ることになったのもこの人の提案という説がある)も出て いるのですが、もともとは、物部の一系統との説があります。物部守屋 が邸を構えていて崇峻天皇と蘇我の連合軍に滅ぼされた地が渋川の阿刀 という場所で、阿刀氏はここがルーツのようです。

ただしもっと古代、成務天皇(ヤマトタケルの弟)の御代には熊野の方 で温泉の発見などをした人に阿刀足尼という人がいて、これも同族だと すると八咫烏ルートと関わってくるかも知れません。


( 3) 00/05/30 17:35 00391へのコメント

今、漠然と地図を見ていて思ったのですが、そもそも伊豆半島というのは 紀伊半島の縮小コピーなのかも知れないですね。ですから、伊豆に流され た役行者はそこで葛城や吉野にいるのと同様のことができたかも。

伊豆の白浜は紀伊半島だと新宮になり、那智が蓮台寺付近か。そして私が 葛城の空気と似ているなと感じた広瀬神社の近辺はそのまま位置的に橿原 から御所(ごせ)付近に相当しそうです。

聖徳太子はのち(仏教にのめりこみすぎて?)に斑鳩に引退してしまうの ですが、この斑鳩の法隆寺の辺りから真北を見ていくと、きれいに平安京 の御所(ごしょ)にぶつかったりして(^^; それからこの斑鳩の地から真東を 見ていくと、御前崎の上を通過して、伊豆半島のジャスト南端に至ったり して(^^;ちなみに西の方は淡路島のジャスト北端を通過して、対馬の北部 に至ります。朝鮮半島・中国大陸は細かい地図が手元にないので分かりま せん。西安よりは北ですね。ジャスト西安だと、こちらはちょうど吉野の 付近になるかも知れません。

他の対応は高野山とか天川とかいった付近が修善寺ですね。大阪が沼津で 京都が三島、そして琵琶湖が富士山なんでしょうね。陰陽の反転はありま すが。もっとも琵琶湖には竹生島に弁天様がおられるし、富士山は木花開 耶姫がおられて女神の聖地だからいいかも知れませんが。。。

でも、こういうことを言い出すと、この元はインドで、白浜・新宮はマド ラスあたりで、伊豆大島がセイロン島、沼津・大阪はボンベイかアーメダ バード、三島・京都がちょうどニューデリー(バラナシかも)、琵琶湖・ 富士山はヒマラヤ、淀川はインダス川、なんて話になったりして(^^)

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