賀茂探求(41)京都/愛宕神社

←↑→
written by Lumi on 00/05/24 12:55.

さて、木島神社から拝む最後の聖地がこの愛宕神社のある愛宕山です。

ここは全国愛宕神社の総本社。古くは亜多古神社と書いたようです。御祭神 は「愛宕様」と一般に呼ばれる火の神様ですが、基本的には迦遇槌命(かぐ つちのみこと)とされています。ただし現在、迦遇槌命は雷神・破无神とと もに若宮に祭られており、本宮には迦遇槌命の母である伊弉冉命と、埴山姫 命・天熊人命・稚産霊神・豊受姫命が祭られています。そのほか合わせて祀 られている神は全部で十七柱を数えるそうです。

この地は役行者と泰澄上人(白山を開いた人,雲遍上人,682?-767)が創始し たと伝えられる修験道の聖地。大宝元年(701)に役行者が泰澄を伴って愛宕 山に登ったところ、黒雲が巻き起こり激しい雷雨におそわれて先に進めなく なりました。そこで二人が真言を唱えると雷雨はやみ、大天狗が現れて 「私は2000年前に仏の命により大魔王となってこの山に住み、衆生を守護し てきている」と言ったといいます。これが愛宕太郎坊です。全国八天狗の 筆頭に数えられます。

ところで泰澄上人の生年ですが、泰澄和尚伝記の金沢文庫本には「白鳳二十 二年壬午」となっていますが、尾添本・平泉本では「白鳳十一年壬午」にな っています。しかし金沢文庫本でもその後で持統天皇6年に11歳と書いてあ り、また亡くなったのは神護景雲元年で86歳と書かれています。

まず白鳳という年号ですが、これはいわゆる逸年号でいつからいつまで使わ れたのがはっきりしません。一般には天智天皇が亡くなって天武天皇が吉野 に逃れた年671年から始まるという説と、翌年壬申の乱に勝利して、正式に 即位した年672年から始まるという説があります。しかし、この付近の壬午 の年は682年なので、壬午を信用すると、泰澄上人の生年は682年で白鳳11年 であり、よって白鳳は672年から始まると考えられます。

持統天皇は即位したのは690年なのですが、日本書紀は天武天皇崩御の翌年 687年を持統天皇元年と書いています。それに従うと持統天皇6年は692年に なり、その年に11歳であるためには、泰澄上人の生年は682年になります。

一番はっきりしているのは神護景雲元年。これは767年で、この年86歳とい うことは、逆算すると生年はやはり682年になります。ということでやはり 金沢文庫本の「二十二年」は「十一年」の誤りで、白鳳は672年から始まっ ており、泰澄は682年の生まれで、役行者と一緒に愛宕山に登ったのは20歳 の時と考えてよさそうです。

役行者の年齢は分かりませんが、一説では舒明天皇6年(634)の生まれとされ ますので、それが正しければこの時は68歳になります。

例の韓国連広足の讒言で伊豆に流罪になったのが文武天皇3年(699)5月24日、 赦免されたのは、ちょっと典拠を確認できなかったのですが大宝元年(701) とされています。続日本紀大宝元年の11月4日に大赦の記事がありますので、 この時かも知れません。すると役行者と泰澄上人が愛宕山に登ったのはこの 年の11月か12月ということになるのでしょうか。しかし701年当時は泰澄和 尚伝記では上人は地元越前の越知山で修行中であり、中央に出てくるのは 翌702年鎮護国家の法師に任命されてからということになるようです。です からひょっとすると、実際には二人が愛宕山に登ったのは702年の夏くらい なのかも知れません。

だとすると69歳の年老いた導師が21歳の才気あふれる若い行者を伴って、 役小角自身が所属する賀茂一族の聖地である愛宕山に登る。そこで役行者は この若い修行者に何かの秘伝を授けたのでしょう。そういう聖地でしか得ら れない何かの境地を体験させたのかも知れません。しかもその行者三神大徳 はその後「泰」澄と名乗るのです。

さて、閑話休題。

この京都愛宕神社は全国の他の愛宕神社同様、昔から火防せの守護神として 信仰されています。愛宕(あたご)という名前については、俗説として迦遇 槌命を産んだ伊弉冉命がその火で陰部を焼かれて死亡したので「仇子」だか ら、ともいいますが、これは多分単なる語呂合わせから来た沫説でしょう。
実際には「あそ」「あさま」などと同様、火を意味する古語から来たものと 思われます。

基本的に迦遇槌命に対する信仰ですので、この神社の祭祀もずっと若宮の方 が中心になってきたようです。お寺としては白雲寺と呼ばれていましたが、 明治の神仏分離後は神社として存続しており、白雲寺の御本尊で、愛宕明神 の本地とされる勝軍地蔵は大原野の金蔵寺(大原野神社の南西2kmほど)に 移されています。


ご指摘をうけました。少し訂正します。 (00/05/24 13:42)

白鳳という年号ですが、天智天皇元年662年から始まるという説、またその 前年の斉明天皇が崩御し、中大兄皇子の称制が始まった年661年から始まる という説もあるようです。

従って、白鳳22年壬午というのも、白鳳が661年から始まったとすれば682年 ということになり正しいことになります。つまり泰澄和尚伝記の金沢文庫本 は白鳳が661年から始まったという立場で記述してあることになりますので、 単純な書写ミスという訳ではないようです。

しかしいづれにせよ泰澄上人の生年は682年ということで良さそうです。


←↑→


(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから