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賀茂探求(38)京都/松尾大社
written by Lumi on 00/05/21 15:33.恐らく松尾大社(まつのおたいしゃ)にハマってしまったら、一生研究し続け ても、し尽くすことはできないと思います。 ということで、非常に重要な神社ですが、できるだけさらっといきます。 まず、松尾神社の場所ですがこれは先にも触れましたように、木島神社・ 下鴨神社を通る、寅申線上にあります。このラインが北東(寅)側は比叡山、 南西(申)側が松尾大社のある松尾山になっているわけです。このライン上 に平安時代の御所の位置があります。 天体の出没する方位角は cosA = -sinδ/cosφで求められます。京都の北緯 はちょうど35度くらいなので、夏至/冬至の太陽の赤緯23度26分から計算す ると方位角は60度57分になります。 日本列島は鹿児島が北緯31度、稚内が45度くらいになり、それぞれのこの 方位角は下記のようになります。 北緯25度 宮古島 63度58分 北緯30度 屋久島 62度40分 北緯35度 京都・三島 60度57分 北緯40度 男鹿半島 58度43分 北緯45度 稚内 55度46分 なお、この方位角がジャスト60度になるのは北緯37度18分。これは能登半島 の曹洞宗の総本山・總持寺がかつてあった位置(現在は神奈川県横浜市に移 転しておりこの地は總持寺祖院になっている)です。曹洞宗のもうひとつの 総本山である永平寺の方は例の日本列島の最大長東西線に乗っていましたし、 曹洞宗というのはタダモノじゃないという感じです (そのほか新潟県の米山薬師もこの緯度にある) まぁともかくも日本列島においては、寅申線を、ほぼ夏至日出−冬至日没ラ インとみなしてよい訳です。 さて、京都の主なポイントがこの寅申線上に沿って並んでいます。 比叡山 / 下鴨神社 / 御所 / 木島神社 / 松尾大社 ここで御所というのは、現在の御所ではなく平安時代の御所の位置です。 ここにもうひとつ気になるラインがあります。だいたい52度くらいの方位 線なのですが、この方位線で下記のような並びが見られます。 比叡山 / 河合神社 / 現御所 / 二条城 / 大原野神社 それから45度くらいの方位ではこうなります。 上賀茂神社 / 金閣寺 / 松尾大社 (松尾大社と上賀茂神社も52度線かと思ったのですが、45度線で結んだ方が 自然なようです) ここでは上賀茂神社と松尾大社が艮坤線で結ばれているということがポイン トです。結果的にこの3つのラインで京都の風水は 上賀茂→松尾→木島→下鴨→比叡山→河合→大原野 という3つの角度の方位線で守られ、その中央に元々の御所があったことに なります。(すると金閣寺の意味は.....ひょっとして?? これを建てたのは 日本国王と自称した足利義満ですよね) さて、このあたりの定規とコンパスの話をしているとキリが無いので、次に この神社の御祭神の話に行きましょう。 松尾神社の御祭神ですが、これは大山咋神(おおやまくいのかみ)と中津島 姫命(なかつしまひめのみこと)で、中津島姫命というのは弁天様として知 られている、宗像の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)のことであると されています。 さて、またまた新顔が出てきました。 上賀茂神社の御祭神が玉依姫が川を流れてきた丹塗り矢に感応して生んだ子 とされていたのですが、実はほとんど同じ話が秦氏本系帳に載っており、こ ちらでは丹塗り矢が松尾大明神であったとされています。そのため観光ガイ ドブックの中には松尾大社は賀茂神社のお父さんを祀っていると書いてある ものもありますが、そう単純な話ではないことは見てきた通りです。 結局似た話がこれだけあります。 姫 丹塗り矢 御子 古事記(神武) 勢夜陀多良比売 大物主神 比売多多良伊須気余理比売 山城国風土記 玉依日売 火雷命 可茂の別雷命 秦氏本系帳 阿礼乎止女 松尾大明神 都駕布 山城国風土記の火雷命は乙訓神社(長岡町)に祀られています。大山咋神は 古事記によれば大年神の御子で、竈の神である奥津日子神・奥津比売神の 弟、稲荷の神である宇迦之御魂神の甥になります。 なお、松尾大社の例祭も昔は、葵祭りといっていました。賀茂神社と松尾 大社そして日吉大社の例祭が同時に行われていたようです。この付近につ いては、また日吉大社のところで触れます。 松尾大社については書くことが多すぎますので、今回はこの程度にしてお きます。
