賀茂探求(34)秦と鴨

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written by Lumi on 00/05/18 06:02.

さて、この付近でこの問題をおさえておきましょう。

秦一族と鴨一族の関係です。

基本的にこの二つの氏族は行動経路がだぶっています。

一般には後世秦氏の方が有名になります。秦氏は聖徳太子に協力して日本の 国家の基礎を作るのに貢献し、桓武天皇に土地を提供して平安京を構築し、 その後も陰陽寮などで平安時代半ばまで祭祀に関わり続けています。伏見稲 荷・松尾大社・比叡山などは秦氏と深い関わりがあります。

一方の鴨一族は神武天皇を先導し、全国各地に展開して国土の開発を進め、 賀茂神社を作っていますが、現在その働きは秦氏の活動の陰に隠れるような 形になっています。しかし陰陽寮の祭祀では、平安時代中期に賀茂忠行が出 て、それ以降秦氏に代わってその中核を占めるようになります。

系統的には秦一族は一説では秦の始皇帝の子孫ともいい、中国・新羅系とさ れていますが、鴨一族についてはよく分かりません。しかし大山祇神が百済 から渡来したといいますので、あるいは鴨一族自体が百済系なのかも知れま せん。

両者が深い関係にあることは、いくつかの資料で明白です。

伏見稲荷の祠官家大西家の家系図によれば、伏見稲荷の創始者・秦伊侶具は 鴨県主久治良の子であり、松尾大社の創始者・秦都理は鴨禰宜板持と兄弟で あるとされています。

また鴨県主家伝では、賀茂社の禰宜黒彦の弟の伊侶具・都理が秦の姓を賜り、 それぞれ伏見稲荷・松尾大社を作ったとあります。

逆に秦氏本系帳では「鴨氏人を秦氏の聟(むこ)とし、秦氏、愛聟に鴨祭を譲 り与う。故に今鴨氏禰宜として祭り奉るのはこの縁なり」としています。

まぁ両者か姻戚関係を結んでいたのは確かなのでしょうが、あとはそれぞれ 自家に都合のいい解釈をしているというところでしょう。この他にも各地の 古代の資料で鴨と秦が一緒に出てくるものは多いようで、大和岩雄は両者が 共同で古代の王権を支え、雄略帝の時期に奈良から摂津へ勅命により展開し たのであろうと推測しています。そして更にそこから山城国(京都)へと展開 していくわけです。

そして京都のふたつの賀茂神社の内、下鴨神社については、これは賀茂一族 の神社というより秦一族の神社という色彩の方がどうも強いようです。ただ これは時代的に下鴨神社が随分あとに出来ているので、その頃は秦の方が鴨 より主導権を握っていたためという見方も出来ます。

それでは、次に京都の神社の配置などについて少しおさえておきましょう。


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