賀茂探求(23)熊野と賀茂の神

←↑→
written by Lumi on 00/05/06 18:36.

さて、鴨氏始祖伝では、鴨氏の祖先について下記のような記述をあげています。

高皇産霊尊   ‖―――+―高皇産霊神――天太玉命――天石戸別命――天富命 神皇産霊尊 |
      +―天神玉命―――天櫛玉命――天神魂命――櫛玉命――天八咫烏

高皇産霊」という名前が二重に出ていますが「尊」のほうは高結神、「神」
のほうは高魂尊ともいうと書かれています。

天神玉命は天照大神に仕え、天櫛玉命は天忍穂耳命に仕え、天神魂命は彦火 瓊々杵尊に仕え、櫛玉命は彦火々出見命・武鸕鷀(うがや)不葺合 の2代に仕えたと書かれています。

※ 鸕 =   鷀 =

そしてその子の武津之身命(たけつのみのみこと)が神武天皇に東征に従い、 功績をあげて、天八咫烏の称号を受けたとされています。この天八咫烏という のは錦冠位のようなものだとのこと。

そして武津之身命は神武天皇の御代には葛城の鴨に住み、崩御後岡田の鴨に引 退したとあります。高岳の朝(綏靖天皇の御代)にもいろいろ仕事をしている ようです。

岡田の鴨の件についてはもう少しあとで触れます。

後世の伝説では、八咫烏ははじめ宮崎の地で天から舞い降りて、神武天皇に付 き従ったとされます。そして神武天皇が紀州に上陸して紀伊半島を北上して、 大和で長髄彦の軍勢と戦ってこれを破るわけですが、この北上する時の先導を 務めたのが八咫烏であるとされます。

このルートは現在大阪方面から熊野へ至る途中の王子となっており、各王子の 神社には八咫烏を祀っているところが多いようです。そういうわけで紀州の熊 野と賀茂神には密接な関係があるわけです。おそらくは賀茂一族が持っていた 紀伊半島の近親氏族による連絡ルートが後世熊野信仰と結びついて王子として 残っているのでしょう。

日本書紀では八咫烏の子孫が葛野主殿県主であるといっています。

むろん、武津之身命は現在の京都の下鴨神社の御祭神であり、賀茂別雷神の祖 父であることはいうまでもありません。

賀茂始祖伝では武津之身命の子を建玉依彦と書いており、この代に祭祀の命を 受けたとされていますので、この人が最初の鴨神社を作ったということでしょ うか。また山城国風土記逸文では、建角身命(武津之身命に同じ)は神野の神 伊可古夜日女と結婚して玉依日子と玉依日売がうまれたとしています。

賀茂始祖伝は鴨氏は以後代々葛野の地にいたが、長岡京ができた時に現在の愛 宕の地に移動したと書かれています。葛野は現在の右京区、太秦の広隆寺とか 松尾神社などの付近、愛宕は上京区から左京区にかけての現在の賀茂神社があ る付近です。このあたりは秦氏との絡みが出てくるのですが、それについても あとで触れます。

結局、鴨氏の移動経路は宮崎→紀州→葛城→岡田→葛野→愛宕、ということに なりそうです。

そして鴨神社というのが成立したのは最初葛城で、その後岡田、そして京都に 鴨神社がつくられることになったのでしょう。

Powered by 文字鏡
←↑→


(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから