↑ ←→賀茂探求(22)葛城の勢力について
written by Lumi on 00/05/06 05:38.
歴史上、葛城の勢力を代表するのは、事代主神です。 日本書紀によれば、事代主神が、三島溝橛耳神の娘・玉櫛媛と 結婚されて生まれた子、媛蹈鞴五十鈴媛命が神武天皇の皇后となって、第2 代天皇の綏靖天皇を生まれています。 この部分旧事本紀では、三嶋溝杭の娘・玉依姫と結婚して韛五十鈴 姫が生まれたことになっています。この玉櫛姫あるいは玉依姫は出雲では 単純に溝杭姫と呼ばれています。 三嶋溝杭についてはあとでゆっくりと説明します。 ※橛(木厥) =   韛(韓]鞴]) = 綏靖天皇は鞴五十鈴媛の「姨」の五十鈴依姫(事代主の次女)と結婚し安寧 天皇が生まれています。五十鈴依姫の母については旧事本紀も何も書いてい ません。 その安寧天皇は事代主神の孫で鴨王の娘である渟名底仲媛と結婚し、懿徳天 皇と息石耳命が生まれています。 その息石耳命の娘・天豊津媛命が懿徳天皇と結婚して孝昭天皇が生まれてい ます。 ここまでが事代主系の天皇と考えられます。綏靖天皇は高丘の宮を作ったと され、これが私が通った、碑の立っていた所でしょう。        日向賀牟度美良姫             ‖――+健飯勝命        +天日方奇日方命|      ○  三島溝杭姫 |       +渟名底仲媛 ‖――天豊津媛命   ‖――――+五十鈴姫      ‖ +息石耳命  ‖   ‖      ‖――綏靖天皇  ‖ |      ‖――孝昭天皇   ‖     神武天皇  ‖   ‖―+――――懿徳天皇  八重事代主神       ‖――安寧天皇   ‖―――――――――五十鈴依姫   ○ ※この系図は2000.10.3に補足しました。 孝昭天皇以降はその名前から崇神天皇の直接の先祖という性格になってきま すので、このあたりで勢力交替があったものと思われます。 ただ、今の段階で、私もこの事代主を中心とする葛城勢力と、京都賀茂神社 に関わる賀茂別雷神の系統との接点はよく分かりません。 ただ、私が今考えているのは「賀茂神社」というのは、要するに賀茂一族が 信仰した神社群であり、よって御祭神はいろいろあるのではないか、という ことです。 よって、そこに賀茂別雷神の系統、事代主神の系統、味鋤高彦根神の系統、 そして一言主神の系統があるのでしょう。 なお京都の賀茂神社がある、葛野の県主に、葛野県主と葛野鴨県主がありま すが、上田正昭氏は、元々葛野県主がいた地に、6世紀ころ、葛城系の葛野 鴨県主が進出してきて、これに代わったのであろうと推測されています。 また、京都賀茂神社系の鴨氏始祖伝では、鴨氏にもいろいろあり、自分たち の先祖は葛野鴨氏であると言っています。同伝の注釈によると崇神朝で絶大 な力を持った彦坐王(ひこいますおう)の系統も鴨氏と言うそうですが、こ れは京都賀茂神社の鴨氏の系統とは別であるとしています。 彦坐王は確かに鴨との関連があるようで、彦坐王の子の袁耶本王が葛野之別 の先祖とされ、同じく子の大筒木真若王(有名な水穂真若王とは別人)の孫 の息長宿禰王の妃が葛城の高額比売。そして「息長」の名前からも想像がつ くように、その子供が息長帯比売つまり神功皇后になります。いわば神功皇 后は葛城勢力の最後の花なのかも知れません。

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