賀茂探求(16)葛城古道/高天彦神社

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written by Lumi on 00/05/05 21:41.

高鴨神社から葛城古道を歩き始めると、最初は一応舗装された道路を歩くこ とになります。が、高天彦神社に寄る場合は、かなりとんでもない道を通る ことになります。

どこかで左に曲がらなければならないのですが、曲がる場所は何カ所かある ので、あわてないでください。しかしいづれにせよ、路地みたいな所を入っ ていきます。

そしてかなり坂道を上ったあと、本道からそれて、左手の山道に入っていき ます。この道は雨の日は通行不能です。

私が行った時、一人でこの道を入っていくのはちょっと怖い感じだったので すが、幸いにもちょっと先を若い男性が歩いていましたので、その人に付い ていくようにして歩いていきました。ほんとに一人だったら諦めていたかも 知れません。

途中階段があり、○分の○という数字が入っていたので、これが終わったら 到着かな?と思ったら、それは単にその階段の終わりであり(^^;更にその先 にもたくさん同様の階段がありました。

結局20分か30分くらい山道を登っていったと思います。

ガイドブックには途中に「蜘蛛窟」という見所があったらしいのですが、と ても回りの景色に気を配るような余裕はありませんでした。とにかく歩くこ とと、前を歩く男性からあまり離れないようにすることで必死でした。

この山道を抜けると、今度は田圃のあぜ道のようなところを歩いて行きまし た。そしてその先にやっと鳥居が見えてきました。

【高天彦神社】

ガイドブックには、高皇産霊神市杵島姫命・菅原道真公が御祭神であると 書いてありました。

このとりとめのない組み合わせに???だったのですが、行ってみて分かり ました。

この神社の御祭神は高皇産霊尊のみ。由緒書きには下記のようにあります。

天照大神の子の天忍穂耳尊(あめのおしおみみのみこと)に、本社の御 祭神の娘・栲幡千々姫(たくはたちじひめ)が嫁ぎ、御子の瓊瓊杵尊( ににぎのみこと)が高天原から降臨される。その神話にいう高天原がこ の台地である。
  
  御祭神を祖神とした葛城族は大和朝廷に先行する葛城王朝を築き、亡び た後も、平群・巨勢・蘇我の豪族として栄えた。
  
  延喜の制では名神大社に列し、月次・相嘗・新嘗には官幣を預かってき た神社である。

瓊瓊杵尊の母は古事記では高木神高皇産霊神)の娘・萬幡豊秋津師比売命 と書かれていますが日本書紀では上記にも書かれている栲幡千々姫になって います。「幡」の字が共通ですし、同じ方と見てよいでしょう。

高天彦神社は実際は高皇産霊尊のほか、上記の由緒書きで見る通り、娘の 栲幡千々姫、その夫の天忍穂耳尊、そして孫の瓊瓊杵尊、四座を祀ったもの と思われます。

さて、市杵島姫命・菅原道真公は摂社の御祭神でした。

右側の摂社 八幡神社 神功皇后・応神天皇・仲哀天皇・武内宿禰 稲荷神社 市杵島姫神社 御霊神社 井上親王

左側の摂社 春日神社 天児屋根命・武甕槌命・経津主神・比売大神 菅原神社 菅原朝臣公 三十八社 葛城三十八皇神

このほか、右下にお名前不明の神社がひとつありました。

面白いのは「葛城三十八皇神」。これがいわゆる葛城王朝の歴代の王なので しょう。葛城の勢力は一時は大和の政権と同程度の力を持っていたとも言わ れています。とはいっても大和と葛城はすぐそばですから(^^;;大和朝廷が ほんとにまだまだ小さかった頃のことなのでしょうが。

私は山道を長時間歩いた疲れから、この神社で30分ほど休んでいました。
しかしその先にもっとすごい道があるとは、この時は思いもよりませんでした。


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