賀茂探求(9)旧事本紀を見て

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written by Lumi on 00/05/03 15:21.

賀茂に関する探求が更に進むきっかけとなったのは、たまたま誰かに質問さ れて、することになった諏訪湖の建御名方神(たけみなかたのかみ)に関し ての調査でした。この建御名方神大国主神の子供なのですが、古事記には 誰が母親かというのが書いてありません。しかし越国の沼河姫であると書い てある本がありました。

しかしその根拠が何なのか分からなかったため、ほんとにあちこちの本をひ っくり返していたところ、それは旧事本紀の記述であるらしい、ということ を知ります。

旧事本紀は古事記・日本書紀につぐ、第三の古代に関する書ですが、手軽に 入手できる形で出版されていません。私の手元にもなかったので、図書館ま でいって読んできました。そこには次のような記事があり、また衝撃を受け ます。

先娶 坐宗像奥都嶋神田心姫命、生一男一女 兒味鋤高彦根神 坐倭国葛上郡高鴨社 云 妹下照姫命 坐倭国葛上郡雲櫛社

次娶 坐邊都宮高降姫神、生一男一女 兒都味齒八重事代主神 坐倭国高市郡高市社 亦云甘奈備飛鳥社 妹高照姫大神 坐倭国葛上郡御歳神社

次娶 坐稲羽八上姫 生一兒 兒御井神 亦云木俣神

次娶 高志沼河姫 生一男 兒建御名方神 坐信濃国諏方郡諏方神社

===================================== まず宗像の奥津島にまします神田心姫を娶りて、一男一女をなす 男の子は、味鋤高彦根神、大和の国、葛上郡の高鴨社にまします。
 捨篠社ともいう。
 女の子は、下照姫命、大和の国、葛上郡の雲櫛社にまします。

次いで辺都の宮の高降姫神を娶りて、一男一女をなす 男の子は、都弥波八重事代主(つみは・やえのことしろぬし)神、大和の国、 高市郡の高市社にまします。また、かなみの飛鳥の社ともいう。
 女の子は、高照姫の大神、大和の国の葛上郡の御歳神社にまします。

次いで因幡にまします八上姫を娶りて、一児をなす 男の子は、御井の神、また木俣神ともいう。

次いで越(こし)の沼河姫を娶りて、一男をなす 男の子は、建御名方神。信濃国の諏訪郡の諏訪神社にまします。

これで、建御名方神の母親が判明しただけでなく、講談社学術文庫・古事記 の解説の根拠までわかってしまったのです。それは旧事本紀を元にしていた のでした。

また、下照姫高照姫はどう見ても対の神と考えられ、それぞれの同母兄に なる味鋤高彦根神事代主神もかなり関連の深い神であると考えざるを得な くなりました。味鋤高彦根神一言主神との関連からやはり葛城が本拠地と 考えられますので、事代主神もやはり葛城に関連の深い神なのではないか。
そういう気がしてきます。

そもそも「邊都宮」というのは、ひょっとすると古事記でいう宗像の邊津宮 ではないのか?という疑問がわいてきます。宗像の三女神は奥津島に田心姫 (多紀理姫)、中津島に市杵島姫、辺津宮に田寸津姫(多岐都姫,瀛津嶋姫) がおられます。ということは「高降姫」は「たぎつひめ」と読むのではない か、つまりそもそも事代主神の母は味鋤高彦根神の母と姉妹なのではないか という想像ができるのです。

なお、この部分が古事記では事代主神の母は「神屋楯比賣命」となっていま す。あるいは「楯」を「たづ」と読んだのかも知れませんが、これに関して はまだ判断を保留しておきます。

ここまでたどりついたのが昨年の秋頃。そしてちょうどその時、ニフティの SYSOPの会合が大阪で開かれました。私はこれはいい機会だと考え、葛城を 訪れてみることにしました。


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