賀茂探求(2)役行者と賀茂一族

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written by Lumi on 00/04/25 09:03.

さて、1992年夏にffortuneに入って特にタロットの会議室を中心に活動して いたのですが、その中で私はタロットの小アルカナの象意というのがどこか ら来ているのかということに興味を持ち、そのルーツを追い求めて、シンボ ル探求の旅を始めます。

「金枝篇」付近から始まって、旧約聖書、ギリシャ神話、エジプト神話、 メソポタミア神話、インド神話。一方では心理学系からマンダラの仏たちに 関心を持ち、インド分と合流して密教にのめりこんでいきます。そしてそこ からやがて神道までたどりついたのが1993年末頃だったでしょうか。

それまでまともに読んだことのなかった古事記・日本書紀をきちんと読んで みて、自分が今まで漠然と把握していた日本の神話の思いがけない構造に衝 撃を受け、日本の古代史やシンボリズムに関する認識を一変させました。

そんな中で役行者(えんのぎょうじゃ)という人が、それまでてっきり伝説 上の人物と思っていたのが、ちゃんと実在した人物だということを知りまし て、そして彼が賀茂一族の人間らしい、ということを聞きます。

その時点で私が認識していた賀茂一族というのは大和地方に勢力を持ってい た一族で、縄文系?の魔術・占術などの特殊技能を持つ山の民、といった感 じのものでした。そして、その時点ではまだ私の頭の中でこれが賀茂神社と は全然結びついていませんでした(^^;;

役行者の本名は「小角(おづの)」と言ったようです。日本霊異記(822頃)には 「役の優婆塞は賀茂役君(かものえのきみ)、今の高賀茂の朝臣なり」とあり、 ここに彼が賀茂一族の出身であることが明記されています。賀茂の役の君の 一族出身の行者だから「役行者」という訳で、この「役行者」という熟語自 体の初出は「三宝絵詞」(984)になるようです。

各種の役行者に関する伝説を集めると、だいたい次のような話になります。

役小角は葛城の茅原村の生まれで山岳で修行をし、密教の秘術を深く身に つけていた。そしてその験力により鬼神を使役していた。特にその中でも 小角がよく使っていたのは前鬼・後鬼と呼ばれる者である。

小角はある時大峯の山上で地上の災いを取り除く強力な破邪の神を招来す べく瞑想をしていた。すると初め弁財天(天河弁財天,*1)が現れた。し かし小角はもっと強烈な神が欲しかったので更に瞑想を続けた。すると 地蔵菩薩が現れた。しかし小角はもっと厳しい神が欲しかったので更に 瞑想を続けた。すると突然激しい雷鳴とともに忿怒の形相の神が出現した。
 これが蔵王権現である。(*2)

後に、小角は葛城の峰と吉野の金峰山との間に橋を架けようと考え、葛城 の一言主神に仕事をさせた。すると一言主神はあまりにこき使われるので これを嫌がり、天皇に「小角は謀反を企てている」と讒言した。(*3)その ため小角は捕えられることになった。

ところが小角は神通力を身につけているので天皇の軍が捕まえようとして も空を飛んで逃げてつかまらない。そこでやむなく小角の母親を捕らえて 人質とし「母親を解放して欲しければ投降しろ」と呼びかけた。そこで小 角も仕方なく縛に付いた。

小角は伊豆に流刑になった。彼は昼間は伊豆でおとなしくしていたが夜に なると空を飛んで富士山に行き、そこで修行をしていた。小角が流されて からのち、各地で気象の異変などが起きた。天皇がその対策に心を痛めて いると、夢枕に北斗七星の化身の童子が現れ「聖人を無実の罪に陥れたか らこのようなことになったのだ」と告げた。そこで天皇は小角のことに頭 が及び、即刻彼を放免した。
 
 赦された小角は故郷の葛城に戻り、やがて母親を連れて九州の英彦山、そ して韓国、中国、チベットへと渡っていったという。後に大陸で彼を見た 者もあるらしい。


(*1)最初に弁財天が現れたというのは非常に重要な意味を持つ。これに 関しては、いづれどこかで述べたい。少なくとも小角は天河弁財天 を「非力」とは思わなかった筈である。地蔵菩薩にしても同様。
(*2)山形県と宮城県の県境に広がる蔵王は、この吉野の蔵王権現をそこ の中心山である刈田山の山頂に勧請したことから出た名前である。
(*3)日本霊異記(822頃)の記述だが、続日本紀(797)では讒言をしたのは 韓国連広足になっている。

役行者に関しては、一般に日本の修験道の実質的な祖と仰がれています。
(まぁその前に聖徳太子の時代に出羽三山を開いた蜂子皇子もいるのだが)

役行者は上記の伝説から想像される限りにおいて、賀茂一族の中で一時期 かなりの勢力のリーダーのような立場にあったと思われ、また彼が身につ けた種々の秘法と、賀茂一族が受け継いできた各種秘術の間にも何らかの 関連があったことが想像されます。

賀茂一族のルーツについては、またどこかで触れると思うのですが、1993 年頃は私は漠然と縄文系と思っていたのですが、今ではむしろ大陸系の知 識を持っていたと考えています。そして、その中に初期密教の流れやシャ ーマニズム系の技法、太占系の占術、などもあったのかも知れません。


(空誑氏からの質問) 小角は「おづぬ」と読むのではないか? 賀茂役君は「かものえだちのきみ」ではないか? (お返事) 「小角」の読み方に関しては、意見が少し分かれているようです。

私が「おづの」と書いたのは単純ミスというやつですが、実際に 「おづの」と振っている文献もありました(岩波書店・新日本古典 文学大系)。でも、これはエラーくさい気がしますね。

確かに「おづぬ」と振っているものが大半ですが、昔から「おづみ」
 という説もあるそうです。

「鴨役君」に関しては、たしかに「えだちのきみ」と読むという説も あるのですが、「えのきみ」説の方が多いようです。古い文献では、 三宝絵の法2で、明快に「役優婆塞、俗姓ハモトノエノキミ」とカナ 文字で書かれていますので、こちらは「えのきみ」でよさそうです。


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