↑ ←→賀茂探求(1)京都の賀茂神社
written by Lumi on 00/04/24 15:50.
多くの人が「賀茂」と聞いて連想するのは、京都の賀茂神社ではないかと思 います。 京都の賀茂神社は実際には左京区、御所のやや北東にある下鴨神社と、北区、 市街地の北端付近にある上賀茂神社とに分かれています。 取り敢えずはその両神社に掲げられていた由緒書きを下記に引用しましょう。 ■上賀茂神社の由緒書き    山城国一ノ宮・賀茂別雷神社(上賀茂神社)  御祭神 賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)  --------------------  上賀茂神社の祭神は、玉依姫が今、上賀茂神社の境内を流れている御手洗  川(瀬見の小川禊の泉)で川遊びをしていると、川上から白羽の矢1本流  れてきた。これを持ち帰って床に挿して置いたところ、遂に感じて男子を  生む。のち男児天にむかって祭をなし屋根を穿って天に昇る。別雷神(わ  けいかずちのかみ)とたたえ、祀る神社を賀茂別神社という。    京都でも最も古い神社の一つで、五穀豊穣の神の雷神を祭ることから農民  の信仰を集めた。謡曲「賀茂」はこの縁起を叙べて五穀豊穣国土守護の神  徳を讃へた曲である。    弘仁元年(810)には斎院の制が施され、歴代皇女が斎院となったこともある。 ■下鴨神社の由緒書き  山城国一の宮・京都總鎮護・賀茂御祖神社(下鴨神社)略記    本社 御祭神 玉依媛命(東本殿)/賀茂建角身命(西本殿)  賀茂建角身命は神武天皇御東遷の時、金鶏八咫烏となってこれを導き、後  にこの山城を開拓して農耕の道を教え、又正邪を糺して裁判の道を開き給  うた、国土開発・殖産興業の神であり、玉依媛命はこの賀茂建角身命の御  子神である。    御鎮座の年紀は遠く明確でないが、神武天皇の御代をあまりくだらないと  きと伝えられている。延喜式の明神大社・山城国一ノ宮である。  桓武天皇が都を山城国に定められた時、先ず当社を平安京總鎮護の神と崇  められ、伊勢の神宮に亜ぐ大社として伊勢の斎王(斎宮)に準じて斎王(  斎院)の制を定められ、二十一年毎の式年遷宮を始め、奏事始めなど、す  べて伊勢の神宮に準ぜられた。殊に縁結び、安産育児の神として、又京都  表鬼門の護り神であるため、方除の神としても崇敬をあつめている。両本  殿は「流れ造り」の代表的なものとして、国宝建造物に指定され、楼門内  の諸建物五十一棟は重要文化財である。五月十五日の賀茂祭(葵祭)は当  社の例祭で、日本三大勅祭として、その高尚典雅な行粧は初夏の京洛を平  安朝時代の夢幻に誘なう。その前儀である十二日の御蔭祭は我が国最古の  神幸列と言われ、その優美さは葵祭に匹敵し、殊に糺の森での切芝の神事・  還立の儀は典雅を極める。その外、一月十五日御粥祭・天皇誕生日の前夜  の御内儀、御祈祷祭、五月三日鳴弦・蟇目神事、五月五日歩射神事、土用  丑日の御手洗祭(足つけ神事)、立秋前夜の夏越神事(矢取り)、立夏及  び立冬日の更衣祭等の特殊神事がある。  ---------------------------------------------------------------- 私が下鴨神社・上賀茂神社を訪れたのは1990年5月です。京都で伏見稲荷、 清水寺、三十三間堂、苔の寺、妙心寺・仁和寺、竜安寺・天竜寺、金閣寺・ 銀閣寺、下鴨神社・上賀茂神社、嵯峨野の諸寺、大徳寺、などを訪れたので すが、伏見稲荷のお山(一の峰・二の峰・三の峰をはじめ、お山を一周して きました)であの神秘的な雰囲気に触れ、化野念仏寺では何かの霊に襲われ る体験(^^; をして、なかなか有意義?な旅行でした。 この時、伏見稲荷で頂いてきたお守りの砂は、現在住んでいるアパートの霊 的守護の基礎に使っていたりします(^^) その年、弟が高校を卒業したのですが、修学旅行が何かで中止になってしま ったので、その代わりに京都の寺社見学でもさせてやってくれと親から言わ れまして、じゃぁ旅費も出るし、という訳で計画を立てて行ったのですが、 まぁほんとにトラブル続きの旅でした。 旅行代理店でホテルを取ろうと思ったら、ちょうど何かの会議だったかが開 かれているとのとこで取れず、仕方なく大津市に取って、電車で1時間ほど かけて毎日京都まで通いました。(今だったら京阪神のホテルガイドブック を見て、旅行代理店に登録してなさそうな、客の少なそうな所に直接予約を 入れるのですが、当時はそんなに旅慣れていなかったので) ガイドブックを5冊ほど買って見ながら計画を立ててその行程計画表と一緒 に弟に渡し「見といてね」と言っておいたら、そのガイドブックを全部(^^; 家に置いてきたと言われて天を仰ぎ、さらに初日に弟が旅費を入れた財布 (6万円ほど入っていたらしい)を落としてしまうという事故もあり(^^; 更にはずっと雨が降っていて行程にかなり支障をきたしました。 烏丸付近のATMのお世話になり、急遽本屋さんに飛び込んでガイドブック を1冊買って、現地でバタバタと予定を組んだわりには、けっこう多くの寺 社を訪れることができました。そして最終日、北野天満宮に行くか下鴨・上 賀茂神社に行くか、どちらかの時間が残っているというところで、賀茂神社 を選んだのですが、これが私を大いに刺激することになります。 (北野天満宮の方はその後何度も京都を訪れているのですが、どうしても時 間が取れず、いまだに行くことができずにいます) 下鴨神社の記憶は埋没してしまっているのですが、上賀茂神社は、まずいき なり入っていった所にあった「立砂」(円錐状に白砂を盛ったもの)に目が 引かれます。そしてお参りを終えて、人の波に釣られて横の道に出た時、北 の方角に大きな山があるのに気づいた瞬間、私は「あの山が上賀茂神社の御 神体に違いない」という確信を持ちました。その時の印象がいまだに強く脳 裏に刻まれています。 実は私はこの前年、宮崎の青島および鵜戸神宮を訪れていました。この時、 この両社が親子関係にあることを知り、神社というものに初めて興味を持ち ました。そして、神社のことはどうも本などを見てもよく分からない。むし ろ各神社に掲げられている由緒書きを見て回るべきではないかということを 思いつきます。それから今に至る神社ウォッチングが始まったわけですが、 当初は住んでいる福岡市内の神社やお寺を巡って、写真を撮り、由緒書きを 当時はどんどんHyperCardに入力していました。 そしてこの年京都を訪れることになったので、京都でたくさん写真を取りま くってやろうというわけで、カメラ2台(社寺撮影用にRealaを入れたものと、 由緒書き撮影用に感度400のフィルムを入れたもの)とフィルム多数を持って 出かけたものです。 そして、上記の由緒書きにも見る、賀茂神社の親子関係と、鵜戸神宮・青島 に見る親子関係の類似点を漠然と感じ、当時はどちらも「浦島太郎型」の伝 説という感じで捉えていました。鵜戸神宮・青島神社は、御祭神としては、 鵜戸神宮が鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、青島神社がその 両親の山幸彦(火遠理命)と豊玉姫なのですが、なぜか民間ではこれが逆転し て、青島神社は浦島太郎を祭ってあり、鵜戸神宮にいるのがそのお母さんと いう伝承があるようです。もし本当に鵜戸神宮が青島のお母さんなら、鵜戸 神宮にいるのは山幸彦のお母さんの木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とい うことになるはずなのですが。。。 なお、この鵜葺屋葺不合命の奥さんが玉依姫といって、これが下鴨神社の御 祭神と名前が共通しています。そのため、当時はこれは同じ神様だろうかと 思っていたのですが、現在では「玉依姫」とか「豊玉姫」というのは神に仕 える巫女姫によく使われる名前(この件については異説も含めていづれ)と いうことで認識しており、この両社に直接関わりはないという立場に立って います。 この京都の賀茂神社を訪れて2年後、私が偶然にもこのフォーラムのことを 知り、入会していなかったら、この賀茂神社の記憶はこれだけで完結してし まっていたかも知れません。

↑ ←→

(C)copyright ffortune.net 1995-2013 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから