牧神の午後

↑

『牧神の午後』の初演は1912年5月29日パリ・シャトレ劇場、ディアギレフ・ ロシア・バレエ団(Ballet Russes,バレエ・リュス)によるもので、主演は ワスラフ・ニジンスキーである。振付けもニジンスキーと妹のプロニスラヴ ァ・ニジンスカの二人で行なった。

モダン・バレエ革命を主導したのはこのバレエ団の主宰者セルゲイ・ディア ギレフと彼の弟子たち、ミハイル・フォーキン、ワスラフ・ニジンスキーら である。このバレエ団は最初1909年5月19日パリ・シャトレ劇場で最初の公演 を行なった。演目は『アルミードの館』『イーゴリ公』『クレオパトラ』。
翌年には『シェエラザード』『火の鳥』が公開され、特に当時全く無名であ った『火の鳥』の作曲者ストラヴィンスキーはこの作品により1晩にして スターになった。

その翌年1911年、同バレエ団はモンテカルロ公演でフォーキン振付けニジン スキー主演による『薔薇の精』を公開する。この作品でニジンスキーはその 驚異的な跳躍力を見せて観客の度肝を抜く。ラストで薔薇の精が窓から飛び 出していくところは、あたかも空中に消えていくようと言われ、彼は伝説の 人となった。(この最後の跳躍は実際問題としてとても普通に着地できない ので、舞台の袖のマットの上に転がりこんだらしい)

しかし、翌年ニジンスキーは自ら振付けを担当したこの『牧神の午後』で、 そういう自分を真っ向から否定し、自分の踊りは跳躍だけが売り物ではない のだということを見せつけた。

この作品のベースはマラルメの長詩『牧神の午後』である。彼はこれを劇と して上演したかったが無理だといわれマネ(!!)の挿し絵付きの本として自費 出版(!!)した。これに感動したのがドビュッシーで、彼はマラルメに捧げる オマージュとして『牧神の午後への前奏曲』を作曲する。ドビュッシーは この作品はバレエとしてなら上演できるのではないかと考えたが、その夢は 20年後のニジンスキーによって実現されることになった。むろんドビュッシ ーの曲に合わせて踊るものである。

なお、物語自体は非常に単純なものである。

水辺でニンフたちが水浴びをしている。そこへ彼女たちの美しさに目を奪 われた牧神パンが仲間になりたいと思ってやってくる。しかしニンフたち はパンが半獣半人の姿なので驚いて逃げてしまう。パンがすごすごと引き 上げるとニンフはまた戻ってくる。そこでパンがまた彼女たちに近づくと ニンフはまた逃げてしまう。しかしその中の一人だけがパンに興味を持ち 残って彼を見る。パンはこのニンフに対して求愛の踊りを踊る。ニンフも この愛を受け入れるかに見えたが、パンが彼女を抱きしめようとした瞬間 ニンフはさっと逃げていく。

パンはひとり残されて悲しみに沈むが、やがて彼女が落として行ったスカ ーフを見つけ、それを岩の上に敷いて座り、自らを「慰める」。

当時このラストシーンでニジンスキーは舞台の上で恍惚の表情を見せ、しか も最後は「ハー」と力を抜く仕草までしてみせた。ニジンスキーでなければ 許されない演出かも知れない。これを最初に見せられた初日の観客は戸惑い の表情を見せ、翌日の公演ではブーイングとアンコールの声が半々であった という。当時の評論家の意見もまっぷたつに分かれた。

このような反応を引き起こしたのは、その衝撃的なラストシーンの為ではない。

ニジンスキーはこの作品でわずかに一回小川を飛び越えるのに飛んだだけで そのほかは一切跳躍も回転も使わず、常に体は前向き、頭は常に横向きで、 ずっと地に足をつけて踊った。それは男性舞踊手に求められがちなダイナミ ックな踊りを拒否し、3次元的な動きまでも拒否して、2次元的な、極めて 限定された中で、演技力の限界に挑戦したものである。この異様な緊迫感が マラルメの幻想的な詩の世界を見事に演出した。

なお、この作品が上演された時期、フォーキンはロシア・バレエ団を離れて いた。ディアギレフが自分の愛人であるニジンスキーを一座の中心に置きた かった為である。しかししばらく後にニジンスキーは南米公演の途中でバレ エ団の新人バレリーナと結婚。バイセクシュアルなニジンスキーにしてみれ ば男性との関係と女性との関係は別次元のことだったが、ディアギレフにと っては、これは裏切り行為に思われた。そこで彼はニジンスキーを解雇。そ して再びフォーキンを口説き落としてバレエ団に復帰させるが、その後今度 は若いレオニード・マシーンにのめり込んで、彼をニジンスキーに続く第二 のスターに育て上げていく。


(C)copyright ffortune.net 1995-2016 produced by ffortune and Lumi.
お問い合わせはこちらから