受注元の富士通の汎用機にしても、客先の日本電気の汎用機にしても、ど ちらもバッチ処理中心で動かしており、CRT端末は数台しかありません でした。私もプログラムをほんとに久しぶりにパンチカードで打ち込みま した。
この日本電気の汎用機は中クラスのもので、周辺装置を含めると50〜60坪 の広い部屋をほとんど占有していました。まさに絵に描いたような電算機 でしたが、このマシンのメモリーは1MBでした。
わりと特殊な用途で使われているため、だいたい重たいソフトが常に動作 していて、一度カードを読み取り機にセットすると、処理が終わるまで 1時間ほど待っていました(つまりカードを読んでくれるまで1時間待っ た。読んでくれたら処理はたいてい一瞬で終わる)
だいたいはこちらもバッチ処理のソフトを作っていたのですが確か2本程 画面(グラフィック・ディスプレイ)のプログラムを作りましたが、これ がだいたい1画面表示されるのに20〜30分は優に待ちました。
お役所関係というのは、何かのんびりした雰囲気があって、そういう意味 では楽な仕事だったのですが、とにかくこのシステムはマシンを待つとい うことの多い仕事でした。
そのあと、そのファミコンを含めたパソコン通信の仕事をした訳ですが、
この時オフコンと、ファミコンとで、同じロジックを組み込む必要のある
ところがありました。どちらもたまたま私が書くことになり、精一杯速度
をあげる努力をしたつもりなのですが。。。。。
その処理をするのに、8ビットCPU-256KBのファミコン(アセンブラ)では
0.2〜0.3秒、32ビットCPU-2MBのオフコン(COBOL)では15〜20秒かか
りました。
この1980年代後半という時期は、どうも下位のマシンほど処理速度が速い ような、不思議な状況というのがありました。(むろん各レベルの最新 マシンで比較すれば高いものの方が速かったのでしょうが)