それは衝撃というよりも革命のような感じでした。
当時見たのはMacintosh 512K で、メモリ追加で Plus 相当にしてありまし
た。フロッピーが1つだけでは不便ということで1台増設されていました
ので、これはかなり当時としてはお金を掛けていたのではないかと思います。
私は一目でこのマシンに魅せられ、会社でも買って欲しいと思いましたが、
具体的に仕事の話がなければ、高価なマシンを買ってもらうことはできま
せん。結果的には1989年にやっと120万円くらいまで値段が下がってきた
ところ(IIcx)で自分で買いました。私はこのマシンのローンを2〜3年前ま
で払っていました。
その前に1988年にパソコンのシステムの開発の話が出た時、私はできれば マッキントッシュを使いたかったのですが、金額の大きな話であったため、 一応日本電気の販売店になっていることから日本電気のマシンを使わざる を得ない状況でした。私は迷うことなく、PC98+Windows2.0を推奨しました。
当時、初めて386を搭載した、PC9801RA が発売されたばかりでした。この マシンは i386DX-16MHz + V30-8MHz, MM=640KB, 5inchFDx2, 40MB-HD と いうスペックで、定価73万6000円です。
当時はまだWindows配下の開発環境というのが事実上無かったため、プログ
ラムを作るのもコンパイルするのも全て MSDOS上でやっていました。メモ
リーはさすがに3.6MBまで増やしましたが、ハードディスクは40MBのままで
総本数200本ほどのシステムを作り上げました。
少し話を戻して、1987年に初めてマッキントッシュを見た時、私はどうい
うアーキテクチュアがこんな素晴らしいシステムを動かしているのか知り
たいと思いました。それで参考文献を漁って、エルゴソフトの西林氏が書
いたマッキントッシュの解説本を読んだのですが、それを読んでまた衝撃
を受けました。
それまで10年間コンピュータをやってきて培ってきた考え方を私は全て捨
てていいと思いました。そして(その辺の書店には売ってなかったので)
アップルに直接「Inside Macintosh」を注文して取り寄せ、熟読しました。
そして更に衝撃を受けました。
この経験がなかったら、1988年にWindowsのシステムを開発しようとしても、
とんでもない事態に陥っていたと思います。