平成最初の日

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1989年1月8日 今上天皇の践祚により「平成」が始まる。

 昭和天皇裕仁陛下が1989年1月7日午前6時33分、吹上御所2階寝室にて崩御。
 皇太子明仁殿下が同日午前10時01分、剣璽等承継の儀を行い、三種神器の  管理を継承して践祚。今上天皇となられました。
 
 古代には前天皇が亡くなってから次の天皇が立つまで普通でも数日、もめ  たりすると数年かかったりすることもあったのですが、近年では「皇位は  1日も空しくすべからず」とされ、事前に皇太子が定められていて、余程  の問題が無い限り、すぐに践祚する習慣となっています。今上天皇も左腕  に喪章を付けたまま儀式を執り行いました。

 一方内閣では七時すぎから中国文学者の目加田誠、中国哲学の宇野精一ら  全国で数人の元号候補案作成者に電話で連絡。新しい元号の案を提出して  もらいました。それをうけて、13時すぎから首相官邸で元号懇談会(イン  ド哲学の中村元・新聞協会の小林与三次ら8名)が開かれ、新しい元号は  「平成」にしようということで意見が一致。
 
 ついで衆参両議院の正副議長4名に意見を求め、ここでは異論が出ず、13  時50分から閣僚懇談会に掛けられます。ここでも異論は出ず、この懇談会  がそのまま閣議に切り替えられ、14時すぎ「平成」の新元号が決定しまし  た。この新元号は、14時36分、小渕官房長官により記者発表されました。
 
 「平成」は史記五帝本紀の「内平かに外成る」、書経大禹謨「地平かに天  成る」から引用されたもので、7日に即日公布。翌8日から施行されました。
 
 元号の制定に当たっては他に修文・正化という候補もあったようです。ま  た正式発表前に「明和」に決まったというガセネタが一部で流れました。
 しかし「明和」は以前にもあったものですし、明和年間は天変地異続きで  特に明和9年は「めいわ・く」(迷惑)な年といわれるほどひどい災害があ  りました。そんなことを元号制定に関わった人たちが知らない訳がないの  で、明和説は完全なガセであると思います。
 
 「平成」は元号を使用する東アジア文化圏の過去の資料を調べても全く使  用されていないそうです。むろんそういう調査ができているというのは、  これらいくつかの候補がすべて事前に非公式に選定済みだったからで特に  この「平成」は竹下首相が数ヶ月前からもっとも気に入って本命視してい  たものとされます。

 なお、言葉が混乱していたようです。「昭和天皇」は亡くなられたあとで  年号にちなんで送られたもので、生前はあくまで今上天皇、亡くなられて  から「昭和天皇」という追号が決まるまでの間は大行天皇でした。現在の  天皇はあくまで今上天皇であり、「平成天皇」という人は現時点では存在  しません。将来亡くなられた場合は「平成天皇」と諡される可能性が高い  と思われます。
 
 天皇が亡くなると各地で競馬、イベント、コンサート、演劇などが中止・  延期されたり、内容が変更されたりしたほか、TVがお正月のお笑い番組  などを中止。また有線放送はウェディング・落語などのチャンネルを休止  したりしました。しかし数日以内には「自粛しすぎ」として一斉に復活し  ました。こういったメディアにとっても初めての経験で程度が分からなか  った面もあったようです。また民間で結婚式を延期したカップルなども  かなりあったものと思われます。
 
 1989年1月7日は土曜日でした。しかし天皇陛下の崩御という大事件とは無  関係に私は7日も日曜日の8日も朝から深夜まで会社で仕事をしていました。
 
 週明けの9日月曜日。
 
 私は朝自宅で電話のベルで目を覚ましました。
 
 見ると10時半です。完璧に寝過ごしていました。電話の相手は部長でした。
 私は「済みません。寝過ごしました」と謝ったのですが、部長はそれどこ  ろではない感じで「あ、いたかい。実は大変なことが起きたんだ。すぐ来  て欲しい」と、まさに声が青ざめていました。
 
 当時部長はその月半ばに納品する、プログラム1000本くらいからなる大規  模なシステムの開発を担当していました。プロジェクトは大詰めで最終テ  ストを連夜実行していました。ところがその日の朝、担当者の一人がハー  ドディスクの整理をしていて、誤って、そのプログラム1000本が収納され  ている重要なソースライブラリファイルを削除してしまったというのです。
 
 私は行くとディスクの空きエリアのマップをチェックし、すぐに問題のソ  ース・ライブラリが存在していた場所を見つけだしました。私はそこにす  ぐにいったん順編成ファイルをアロケーションしました。
 
 ほんとはソースライブラリの形でそのまま復旧できればいいのですが、そ  ういう機能がこのOSにはありません。
 
 順編成ファイルの状態で復旧処理を掛けてEOD(End of Data)をファイル  の末尾に移動します。この作業は「データが入ってないがこの先までEODを  移動してよいか?」という確認メッセージにひたすら「はい」と答えてい  かなければなりません。ライブラリファイルは索引部をファイルの先頭か  ら、データ部をファイルの末尾から書いているので、真ん中付近にデータ  のない領域が存在するのです。そのリターンを押していく作業を別の人に  頼みました。
 
 そして私は特製のソース救出プログラムを速攻で組みました。日本電気の  オフコンのライブラリのデータ格納形式は完全に分析済みなので、こうい  うソフトは30分もあれば組めます。私が組み終わったころ、ファイルの復  旧処理の方も完了しました。
 
 そしていよいよ吸い上げ。プログラムを1本ずつこのソフトで吸い上げて  は別の新しいライブラリに格納していきます。念のため高速のレーザープ  リンタで全部リストを出して最近修正した記憶のある部分を中心にチェッ  ク。そしてチェックが終わった物から順にコンパイルして動作を確認。
 
 かくして、夕方までには1000本のプログラムがすべてきれいに復旧し終わ  ったのでした。
 
 この日結局私は遅刻届けを出したのかどうか、記憶がありません。


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