インテルはこの後、4040,8008,8080,8085,8086 ということで現在のPentium
につながる流れのCPUを製造していきますが、当初はインテルもあくまで
これを色々な機器への組込用と考えていたといいます。
しかし、そうでないことを考えた人もいました。
色々な先駆者がいたようですが、特にビジネス的に成功したのはMITSでした。
当時MITS (Micro Instrument and Telemetry Systems) はかなり経営が苦し
い状態にありました。その時、社長のエド・ロバーツはインテルが8080を
わずか300ドル(約10万円)という、たいへん安い値段で売りだしたことを
知ります。
当時既に8080をCPUとして組み込んだコンピュータ(ミニコン?)というのは
存在はしていたようです(日本のソードもMITSより先に出している)が、
だいたい数百万円の価格で販売されていたようです。
しかしMITSはこのインテルの8080にメモリーや付属機器・筐体などを添付、
「ALTAIR-8800」という名前で、わずか420ドル(約12万円)という、良心的
な価格で販売始めました。1974年のことです。
これはロバーツのアイデアにMITSの技術陣が即動き、約半年程度で発売ま でこぎつけたものです。
ALTAIR-8800 は「組立前」のパソコンです。つまりこれを買った人は自分 でハンダ付けなどをして組み立てる必要がありますし、ソフトは何も付い ていなかったわけですが、普通のコンピュータなら数億円、ミニコンでも 数百万円〜数千万円するのに、わずか12万円でコンビュータが入手できる、 そのことは非常に大きな反響を呼びました。
MITSはALTAIR-8800の仕様を完全に公開しましたので、ALTAIRには多数の
「互換機」が誕生しました。そしてALTAIRやその互換機が非常にたくさん
売れたため、その上で共通に動作するソフトを組むという考え方が生まれ
ます。MITSはそのようなソフトが出てくると、翌年恐らく世界で初めての
ビジネスショーを開催。このような同社の動きは多くのビジネス・ソフト
を生み出す原動力となりました。
これがソフトというものがハードから独立した瞬間であったのでしょう。
ビル・ゲイツとポール・アレンもそういったALTAIRに魅せられたプログラ マーのひとりでした。彼らはこのALTAIRに、それまで汎用機やミニコンで しか動作していなかった BASIC をのせることを計画。アレンが約半月で 処理系を組み上げたといいます。(この二人はゲイツが企画者,アレンが 作成者.アップルやジャストシステムもだいたい似た組み合わせである)
ALTAIRでBASICが動くということに多くの人が感動。二人はこのBASICを
MITS社に売却して、それがMicrosoftの創業資金となります。
また、MITSはこのBASICのおかげで更にALTAIRを買う人が増え、みごとに
経営危機から立ち直ったのです。
ALTAIR-8800やそれに類するシステムは「マイコン」と呼ばれました。
この言葉は「マイクロチップを使った小さなコンピュータ」(Micro-com
puter)という意味と「私の所有物にできるコンピュータ」(My-computer)
というふたつの意味が掛けられています。
ALTAIR-8800が登場する以前、コンピュータが個人の所有物にできるという 考え方は、大手のコンピュータメーカーの中には欠落していました。