てのひらに乗る電卓
机を1個占有するような巨大なものから、てのひらに乗る小型のものへと
電卓が生まれ変わったのは1972年8月のカシオ・ミニが最初ではないかと思
います。その当時はまだこの小型電卓が数万円の値段だったのですが、1974
年頃に1万円を切りますと、その後どんどん安くなり、電卓はあっという間
に大衆のものとなりました。
昭和40年代に「三種の神器」といわれて電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビ
が普及しましたが、昭和50年代の三種の神器はラジカセ・電卓・電話かも
知れません。(昭和40年代には電話はお金持ちの家にしかなかった。急ぎ
の用事には電電公社まで走っていって電報を打ったものでした)
そうやって大衆用の小型電卓が普及していったのと時を同じくして、従来 と同じ程度のサイズの巨大なホディを持つ『高級電卓』なるものが使われ 始めていました。
この高級電卓の特徴は小さいながらもメモリーを持ち、プログラムが組め ることでした。また磁気カードなどの記録媒体が使用でき、貧弱ながら、 プリンターも装備していて、事実上これは電卓というよりももうパソコン に分類してよいものでした。この高級電卓が登場してきた時代とワンボー ド・マイコンが生まれた時期は恐らく同じくらい(1972年頃?)と思いますが これを私はパソコンの誕生期と考えていいのではないかと思っています。
(一般には1977年の Apple II を最初のパソコンとみなす人が多い)
私は中学時代にNHKのコンピュータ講座でプログラミングを覚えたのです
が、実際のマシンでプログラムを動かし始めたのは高校で出会った高級
電卓が最初でした。
最初に使ったマシンは確か32ステップか48ステップ程度のプログラムが
組めるもので、サブルーチン機能もありませんでしたが、間接ジャンプ
を利用することによって、BASICのGOSUBみたいな方式でのサブルーチン
が事実上利用できました。私は今まで不思議で仕方なかったサブルーチ
ンの動作原理の一端が分かり、とても嬉しかったのを覚えています。
次に使ったマシンは100ステップ程度のプログラムが組めました。この
マシンまでは機械語(16進)でプログラムを打ち込んでいました。
(Aの入力は8と2を同時に押す。Bは8と3,Cは8と4,etc..しかしなかなか 「同時」というのが難しかった)
最後に使ったマシンは256ステップのプログラムが機械語ではなくアセン ブラで組めて、メモリーも16個ほど持っており、しかもそのうちの幾つか を半分に分割して倍の個数のメモリーとして利用できる仕様になっていま した。しかも磁気カードを制御できたため、プログラムを何枚もの磁気カ ードに分割して入れておき、途中でプログラムを自分で入れ替えながら動 作させる、などというわざで結果的に巨大なプログラムを動かすことがで きました。
このマシン上で作ったプログラムの本数は数百本に及びます。このマシン は今の言い方でいえばメモリー 0.5K くらいに相当するマシンです。磁気 カードはつまり...256バイトの容量のものでした。当時作った超巨大プロ グラムが磁気カード4枚。つまり 1KBで、今なら超ミニプログラムですね。
電卓の次に来たもの
だいたい電卓の歴史というものを見るとこうなりそうです。
1962-1965頃 電卓の黎明期
1972-1973頃 小型電卓(てのひらに乗るサイズ)登場
1977-1979頃 カード型電卓登場
1983-1987頃 電子手帳の登場
電卓の小型化を実現したのは、液晶の技術でした。液晶は1888年に発見され た古い技術ですが、まさにこのコンピュータ技術との結びつきにより実用性 のあるものになったといえるでしょう。
液晶の重要性は(電球・ランプ・LEDなどに比べて)電力をあまり消費しない ことで、このため電卓の電源部分を小型化することができるようになり、そ れが電卓自体の小型化につながった訳です。
小さくなった電卓はその後腕時計と合体した製品なども生まれ、入学試験で 「電卓付き時計は持ち込み禁止です」などというお知らせが出されるなどの 社会的な影響まで与えました。
カード型電卓を産み出したのは、数字の入力に従来のボタンではなくタッチ センサーを使うことが考案されたことによります。更には1981年頃だと思う のですが、太陽電池パネルを搭載したモデルが生まれ、現在の普及型電卓の 原型が完成しました。
純粋な電卓としての技術に関してはそのあたりが一応の完成と思われますが、
その後電卓の派生技術として、電子手帳が生まれていきます。
電子手帳について頑張った企業は、やはりカシオ・シャープという電卓2強
です。初期の頃はセイコーも頑張っていたと思います。アップル・ファンに
とってはニュートンという忘れられないマシンもあります。
電子手帳は初期の頃はスケジュール、電話番号録、メモ、といった基本機能 だけでしたが、そのうち日本語が入力できるようになり(特にシャープの手 書き入力は精度がよくて素晴らしかった)、国語辞典・英和辞典・地下鉄の 地図・占い・などといったソフトがどんどん充実していき、ラインナップと しても、小型のカードサイズのものからまさに手帳サイズの大きなものまで 広がります。
そして、この電子手帳の発展の頂点に立つのは、やはりシャープのザウルス。
最初の製品の正確な発売時期をまだ確認できていないのですが多分1993年で
はないかと思います。当時システム手帳のブームが起きており、電子手帳を
作っていたメーカーは盛んに「システム手帳の次は電子システム手帳」と宣
伝していましたが、ザウルスは本当にシステム手帳の代わりに成り得るもの
でした。
ザウルスはこの分野の製品に関するメーカー間の競争に事実上決着を付けて しまった製品であり、またシャープという企業がコンピュータ業界にギリギ リで生き残ることになった、重要な「最後の一手」だったようにも思います。
「シャープ」という社名が、創業者の早川徳次(地下鉄の父として知られる 早川徳次とは同姓同名の別人)が発明したシャープ・ペンシルに由来するこ とは、知る人ぞ知ることですが、シャープはいわばそのホームグラウンドで ある筆記具というフィールドで、大きなポイントをあげたのでした。