Back To 1960

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巨大なコンピュータ 1960年代頃、コンピュータは一般の人たちにとって神話のベールの中にあ りました。そのマンガを読んだのは多分1969年頃だったような気がします。

作者もタイトルも覚えていませんが、冒頭の文句がこんな感じでした。

「私はあの巨大なコンピュータをこんなにコンパクトにすることに成功し た」その白衣を着たおじさんがそういう言葉で紹介したのは、子供くらい のサイズのロボットでした。

そのころ多くの人が「コンピュータ」というものについて抱いていたイメ ージというのはこんな感じでした。

クーラーの効いた大きな部屋の大部分を占領している、巨大な四角な機械。
何台もの磁気テープ装置がせわしく動いている。眼鏡をかけた白衣の若い 青年技術者が巨大な操作卓の前に座って、たくさんのボタンやレバーの並 んでいるのを操作している。ついでに、そこにまた眼鏡を掛けたボブヘア の女性技術者が磁気テープの収められたカバンを持ってやってくる。

その頃、今ならみんな笑うしかないアホな実験をやった所もありました。

ふたつのチームを構成し、両方に同じ問題を与える。一方は全て手作業で それを解決する。一方はコンピュータを使って解決する。

実験の結果は、コンピュータチームが問題をコンピュータにかけられるよ うにする前に手作業チームが解決してしまい、手作業チームの勝ちという ことになります。そして、この実験の結果『人間の方がコンピュータより 優秀である』ということになりました。

まぁ、これを例えて言えば、自動車と人間の足とどちらが速いか調べるた めに100m競争をすることになった。自動車チームがガソリンを車に入れて いる間に人間チームがゴールに到着した、とまぁこんな実験ということに なるでしょう。

当時、私の周りの多くの大人達がこの実験のことを得意そうに話していま した。私は反論するのもおとなげないと思い笑いをこらえて適当に相槌を 打っていました。(私はつくづく性格の可愛くない子供でした)

電子頭脳

1960年代から1970年代前半頃までは今は死語となってしまった「電子頭脳」 あるいは「人工頭脳」という言葉が生きていました。

1960年代半ば頃に人気のあったアニメ「8(エイト)マン」の主人公は電子 頭脳を持った「スーパーロボット」でした。タバコがエネルギー源で、 確か肩か腕に予備の電子頭脳があったような気がします。
(こういうことを書くと、誰かから正確な指摘のメールが来そうな....)

1969年か1970年頃、家電各社から発売されたテレビが「電子頭脳」或いは 「人工頭脳」と称するものを搭載していました。当時のテレビのスペック のデータがないので不確かですが、これは多分ビームの制御か何かにIC を使ったものだったのではないかと思います。この当時はまだチャンネル はバリコン式(といっても知らない人が多くなったか?)ですし、LSI はまだ出現していないはずです。

私は当時その人工頭脳搭載のテレビを見て、何だか感動したものでした。
で、その人工頭脳にあんなことも、こんなこともさせたい、と思って、 テレビの説明書をよくよく読んだのですが。。。。。特にその人工頭脳を 自由に使えるようなインターフェースはオープンされていないことを知り ひじょうに残念に思ったものでした。

1960年代後半頃というのは、みんながコンピュータというものを神聖視し ているのと同じくらい、その先に予想された人工頭脳というものに大きな 期待と夢を寄せていました。当時はほとんどの人が科学万能主義にハマっ ていましたので、電子頭脳はいまに人間の思考の全てを代替してくれるよ うになるだろうといった期待そして逆にそこからくる不安を持っていたよ うに思います。

1970年の大阪万国博覧会はそういう科学技術の夢を見せてくれましたが、 逆にそれは頂点でもありました。

1960年代から1970年代にかけて、多くのSF作家やマンガ家が、機械に支 配される、あるいは科学の発展が人間を無気力にした、ペシミスティック な近未来像を描きます。そして1970年代半ばから1980年代にはオカルト・ ブームが起きて一部には反科学的な動きも出てきます。

それらの動きが統合されて、新しい21世紀に向けての価値観が形成されは じめるのは、コンピュータの「化けの皮」が剥がれて来た1980年代半ば以 降を待たなければなりません。

未来都市の幻想

『空中都市008』は1969年4月から1年間、NHKの夕方6時5分の時間帯に 放送された人形劇です。原作は小松左京。
前作の人気番組『ひょっこりひょうたんじま』が、話中の人物の会話が差 別的であると問題にされ、打ち切りになってしまった後を受けて放送され たものですが、あまり人気が出ずに1年で打ち切り、1970年4月からは 『ネコジャラ市の11人』に代わります。
未来の東京と思わせるような空中都市。道路はエアカーが走り回り、買物 はテレビで商品のカタログを見てボタンを押すと、エアーシュートのよう なもので、配送されてきていました。
小松左京氏が当時20年後の未来社会(つまり1980年代)の姿を想像して構成 した都市の姿だったと思いますが、30年たった今、実現しているものもあ れば、していないものもあります。
カタログショッピングは、インターネットで盛んに行われていますから、 まさに「テレビで見て」という世界です。現在品物は宅配便で送られてき ますから、エアーシュートではないですが、かなり近いものがあります。
番組ではすぐに届いていたような気がしますが、アスクルなどは名の通り 翌日届きますから、かなり近い状態です。
エアーカーは実用レベルでは作られていません。まだガソリン車がほとん どです。
記憶が不確かなのですが、新聞はFAXで送られてきていたような気がし ます。現在新聞社はFAXサービスもしていますが、むしろ主力はインタ ーネットのニュースサイトでしょう。10年後には現在の四大全国紙のうち どこかは新聞の宅配をやめてしまうかも知れません。
そして昨日も触れたこの翌年1970年万博では、オープニングで2台の巨大 ロボットがみんなを歓迎してくれましたし、人間洗濯機(なぜ生産されな かったんでしょうね。面白いと思うのに)みたいな、いかにも未来的な道 具が展示されていました。
しかしこの時代に既に次の次の世代のコンピュータ技術の礎を作りつつあ る人達もいました。1968年アラン・ケイはダイナブック思想を発表します。


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