応答性 (おうとうせい, responsibility) コンピュータが利用者の入力に対して  きちんと反応をしていくという性質。    昔のコンピュータでは、入力した結果がどうなったかは特定のファイルを  調べなければ分からないなどというものも多かった。調べてみて入力形式  エラーなどと書かれていると、また入力方法を検討しなければならなかった。    1980年代のパソコンのソフトやセンターに問い合わせる処理などでは  リターンキーを押した後、時間がかかっているのか、システムが落ちて  しまったのか判別が付かないというものも良くあった。そこで処理の  途中経過を表示するという考え方が出てきて、応答性は改善された。  しかし今でも応答性の極めて悪いソフトは多い。
欧文フォント (おうぶんふぉんと, Latin font) ラテンアルファベット用のフォント。  代表的なものとしてArial, Courier, Helvetica, Times などがある。
応用ソフト (おうよう-, application software) アプリケーションの訳語  だが、お役所の人が書いた文章のようなもの以外では、めったにお目にかかれ  ない言葉でもある。OSや標準のユーティリティのことを「基本ソフト」  というので、基本に対して応用という発想かと思うが、適用ソフトとでも  訳した方がまだ良かったのではないかという気もする。
オウンアセンブラ (own assembler) そのマシン専用のアセンブラ。  セルフアセンブラとも言う。    他のマシン用の機械語を生成するクロスアセンブラに対する用語。
オウンコーディング (own coding) ソフトウェアに利用者自身がプログラム  を書いて機能拡張をすること。いわゆるアドイン,アドオンなどを  書くことである。
オウンコンパイラ (own compiler) そのマシン(システム)用の機械語を生成する  コンパイラ。他のシステム用の機械語を生成するクロスコンパイラに  対する用語。
お絵かきソフト ペイント系のグラフィックソフトの中で比較的シンプル  な操作を売りにしているものの通称。KidPixなどは代表的。Windows付属の  ペイントなどもこの部類に入れられる。
大型機 →大型コンピュータ
大型コンピュータ (large scale computer) その各々の時代において、量産型  のコンピュータの中で、最高クラスの性能をもったコンピュータシステムの  ことを言う。これに対して、量産型に限らずその時代で最高の技術の粋を  集めて作ったコンピュータはスーパーコンピュータと呼ばれる。いつの  時代にも、スーパーコンピュータは次世代の大型コンピュータの雛形になる。  1970年代頃は今で言う汎用機をその規模によって大型機・中型機・小型機  と分類していた。同じメーカーでも大型機・中型機・小型機では全く別系統  のOSやアーキテクチュアを採用していた所も多い。この小型機の下にランク  されていたのが当時のミニコンである。    やがて1980年代頃からオフコンが注目され始めるが、アメリカではこの  クラスはミニコンと合わせて Midrange と呼ばれていた。そしてこの更に  下にパソコンあるいはマイコンといったものが生まれてくる。そうなる  と世の中では、パソコン・Midrangeの上に位置付けられるコンピュータを  総称して大型コンピュータあるいは汎用機と呼ぶ傾向が強まり、かつての  中型機・小型機といった区分は聞かれなくなった。    1990年代に入るとダウンサイジングとネットワークの波がコンピュータ  業界を襲い、パソコンの仕様のマシンやWorkstationを複数台構成にして  大企業の中核システムを動かすような所も現れてくる。これらのサーバー  マシンの中でも大規模な構成のものはやはり「大型コンピュータ」と呼ばれ  るものの、かつての汎用機などとは全く違った概念のものである。    →汎用機,メインフレーム,IBM360
大川功 (おおかわいさお) CSKの創業者。  日本のIT産業における卓越した経営者のひとりであり、その経営手腕と  実績は独立系企業の中では、大塚商会の大塚実、ソフトバンクの孫正義  らと並び、大きく輝いている。  1926年5月19日、大阪市浪速区に衣料品販売業の家の次男として生まれる。  早稲田大学卒業後、タクシー運転手などを経て1962年大阪計算代行取締役  就任。更に日本計算センターの取締役を経て、1968年10月7日に  CSKの前身となるコンピュータサービス株式会社を設立。給与計算システム  などのような小さなシステムの受注から少しずつ経営を拡大。やがて  東芝や松下などの大企業からシステムの構築や運営を受託するに至る。  技術だけで経営力のない人の多いコンピュータ業界の中でひときわ目立つ  しっかりした展望と経営手腕を発揮して1980年には同社を株式店頭公開に  までこぎ着けた。(1985東証一部上場)  1984年にはゲーム業界が今後有望であることを先見してセガを傘下に  組み込んで同社会長に就任。同社の大きな発展に寄与した。1987年には  プリペイドカードの時代の到来を予見して日本カードセンター  (現Quoカード)を設立、同社社長に就任。また1998年には経営危機に  陥っていたアスキーに支援を開始し、同社の再建に尽力した。  2001年にセガがDreamCastから撤退した時には私財で損失補償をしている。  1988藍綬褒章。1996年早稲田大学名誉理学博士・勲三等旭日中綬章受章。  2000年7月に癌が発見され入院するも「もう治った」と言ってすぐに職務  に復帰。しかし2001年3月16日心不全のため死去。享年74歳。  なお現在Quoカードの社長を務め、セガのDreamCastのテレビCMでも有名に  なった湯川英一は大川のパートナーとも言うべき人でありCSKの社員番号  2番であった。
大川センター CSKの創業者の大川功が2001年に関西文化学術研究都市に  設立した、子供たちに先進のIT技術を体験してもらうための施設。  同社のCAMP活動の拠点となっている。
大河内勝司 (おおかわちかつじ) Macintoshの初期からのフリークには  絶対に忘れることのできないソフトSweetJAMの開発者。  エーアンドエー社に在籍。のち同社取締役。    当時の正式の日本語OS「漢字Talk 1.0」では英語版のソフトがまともに  動いてくれなかったため、英語版のOSにアドオンする形で、日本語の処理  と日本語フォントを添付したのがSweetJAM(当初の名前は「日本語OS」)  であった。JAM は Japanese Attachment for Macintosh である。    その後正規のMacintoshの日本語OSの方もだんだんまともにはなってきた  が漢字Talk 6.x 頃までは英語版のソフトでは日本語の表示ができない  ことが多かった。そのためSweet JAM はだいたいその頃まで多くの  人に利用されている。
大阪 (おおさか,Osaka) Macintoshの日本語フォントの中で標準書体の地位  を占めてきた書体。基本的にはゴシック系のフォントであり、後に明朝体  系の京都というフォントも追加されたが、そちらはTrueType時代になっ  てから消滅した。
太田昭和監査法人 1985年10月に監査法人太田哲三事務所と昭和監査法人が  合併して成立した監査法人。2000年4月にセンチュリー監査法人と合併  して太田昭和センチュリー監査法人となった。
太田昭和センチュリー監査法人 2000年4月に太田昭和監査法人と  センチュリー監査法人が合併してできた監査法人であるが、2001年7月  に新日本監査法人と改称した。  http://www.shinnihon.or.jp