アップル (Apple) 現存のパソコンメーカーの中で最も老舗のメーカー。  Apple IIMacintoshなどの製品で知られている。  1975年夏、Hewlett Packardに務めていたSteve Wozniakはたまたま  通りかかったビジネスショーで見かけた超特価のCPU 6502 (約6000円)  に魅せられ、これを買ってきてそれを元に自作のパソコンを制作した。  それを見た友人のSteve Jobs(アタリ勤務)はこれがビジネスになる  と直感。町のショップに持ち込んで販売を依頼する。ショップの店主は  そのパソコンの機能の優秀さは認めたものの商品にするには問題が幾つか  あるとして多くの助言をしてくれた。その助言を元に二人は更にパソコン  を改良していく。    この商品がショップである程度売れたため、Jobsは大規模に販売すること  を考え、1976年7月、勤務先のアタリの社長Nolan Bushnellに掛け合うが  Bushnellはもう秋には会社を辞めるつもりでいたことから、自分はそれ  には乗らないと言い、代わりに知人を紹介。その知人がIntelの株主で  あった Mike Markkula を紹介してくれたため、Markkulaの出資により  1977年1月1日 Apple Computer 株式会社が設立された。  Wozniakが制作したパソコンは社名と同じ Apple の名前で呼ばれ、初期の  Apple Iから改良型のApple IIへと進化する。Apple II には普通の人  でも利用できるような配慮がなされていたため、一般にはこのマシンを  「世界初のパソコン」と呼ぶことが多い。  Apple は順調に業績を伸ばしていたが、ゲームマシンのAtariが好調な業績  を持っていたことから、Appleでもゲーム用のマシンを開発しようという  提案が社内でなされた。しかしこのプロジェクトは巡り巡って結局、ゲーム  に限定せずに、普通の人がコンピュータの知識などなくても使えるパソコン  を作ろうという企画に生まれ変わりXEROXALTOを参考にしてLisaを  作り上げる。しかしこれが営業的に大失敗に終わった。    JobsはLisaの失敗の責任を取って社内のラインから外れ、数人の部下と共に  また新しいコンセプトのマシンを作り始めた。これがMacintoshで、一般  にはLisaの後継とみなされるが、機能的には似ていても、制作思想が全く  異なるマシンである。この頃、Jobsはペプシコーラの副社長John Sculley  を社長としてスカウトしてきた。Macintoshの成功は、コーディネーターと  してのJobsのバランス感覚と、このマシンのグラフィック部分のコアを作成  したBill Atkinsonの天才的な才能、そしてSculleyの卓越した営業センス  がうまく噛み合ってなされたものである。    ところがこのMacintoshの成功をあまり喜んでいない人物がいた。Jobsの  最大の親友である Wozniakで、彼は純粋なコンピュータ技術者としての観点  から限りあるコンピュータのCPUの性能を「無駄としか思えない」ユーザー  インターフェイスのために振り分けるのは反対で、それをやめてシンプルな  インターフェイスにすれば、その分高速なマシンが作れると考えていた。  (私も1975年頃まではこういう思想だったのでこのWozの気持ちが分かる)    やがてWozniakはMacintoshを推進するSculleyと対立するようになり、結局  1985年、Wozniakはアップルを去ることになる。この騒ぎに巻き込まれて  Jobsも一緒にアップルを辞めてしまい、アップルはこの年、創業者が揃って  退任するという異常事態に見舞われた。    しかしアップルはMacintoshが好調に売れ続けたため、Sculleyのもとで  どんどん成績をあげていく。この1988〜1992年頃がアップルの黄金時代で  ある。この時期、Macintoshがビジネス的に成功したもうひとつの要素で  ある新世代の表計算ソフトExcelをアップルに提供したMicrosoftの  Bill Gatesは、このOSをIntel社のCPUに載せ替えることを勧める。  (Pinkプロジェクト)    当時MicrosoftはIBMとのOS/2のプロジェクトが行き詰まり、新たなパー  トナーを模索していた。もしSculleyがこの話に乗っていれば、Bill Gates  は当時混迷していたWindowsの開発を中止させていたであろうし、結果的に  現在世界中のパソコンで最もよく動いているシステムは Pentium 上で動く  Macintosh OS ということになっていたであろう。    しかし当時SculleyはCISCを作り続けるIntelの先行きに不安を感じていた。  しかしMacintoshが使用しているモトローラの68000系のCPUは確実に性能向上  の限界に到達しており、新しいCPUに載せ替えなければならないのも事実で  あった。当時はモトローラが新たに制作していた88000というRISCに載せ  替えることが検討されていた(Hurricaneプロジェクト)。    ここに割り込んできたのがMicrosoftとのパートナー関係を解消してやはり  新たな提携相手を求めていたIBMであり、IBMはSculleyに盛んに同社のCPU  Powerを勧める。結局SculleyはここでIBMの提案を受け入れてしまうのであ  る。これがMacintoshとAppleにとっての大きな運命の分れ道となってしまった。  IBMはPowerにこれまでMacintoshのCPUを制作していたモトローラが要望する  機能を加えたPower-PCという特殊なCPUを作り、MacintoshのOSはPowerPC  に載せ替えられることになった。    この頃、Appleの社内ではMichael Spindlerが会社の実権を握るようになっ  てきていたため、Sculleyは彼に社長の座を譲って引退する。ところがこの  Spindlerの元でAppleは冬の時代に突入するのである。    これまで68000系のCPUで動いていたMacintosh OS を全く別のCPUである  Powerに載せ替える作業は思った以上に困難を極めた。開発は遅れに遅れ  結果的にMacintoshはこの時代に、やっと安定して動くようになってきた  MicrosoftのWindowsに機能と速度の面で抜かれてしまうのである。    PowerPCを使用したPower Macintoshは1994年に発売されるが、当時は  もう既にパソコンといえば、IBM-PC互換機上で動くWindows 3.1という  のが定番になっていた。Windows 3.1 はパソコンを本当の意味で一般の  人に普及させたOSであるが、Macintoshはこの競争に出遅れてしまった。  更に1995年にマルチタスクが利用可能となったWindows95が登場すると、  Microsoftの巧みな宣伝も当たって、パソコン=Windowsマシンという  意識が消費者の間に形成されてしまう。この頃からそれまでMacintosh  しか使っていなかったデザイナーたちの間で、安価なWindowsマシンでも  いいじゃないかという動きも出始め、更にMacintoshの次期OSの開発作業  が著しく遅れたこととHypercardの無償バンドルを愚かにも中止したこと  などで、それまでのMacintoshファンもどんどんAppleを見放し始めた。    会社は大きな赤字を計上し、何度も出ては消える身売り話に社員も動揺  しつづけ、やがてSpindlerは解任された。そして今まであちこちの会社  の再建をしてきた Gilbert Amelio が新しい社長に就任した。    Amelioは社内のシステムの開発状態を調査して「開発中の次期OS」は  事実上商品にならないと判断。開発を中止させ、創業者のSteve Jobsが  アップル退任後作っていたNeXT社を買収して、このNeXTのOS(Unix系OS)を  新たなMacintoshのOSとして搭載させることを決めた。そしてJobs自身も  アップルに戻ってくることになった。これらの道筋を付けた上で  Amelioは後のことをそのJobsに頼んで、アップルから去った。    アップルは創業者が復帰したことで活気を取り戻し、Jobsは新しい試みと  なったパソコンiMacや音楽プレイヤーiPodなど、消費者の目先を変えて  興味を引くシステムを次々と市場に送り出し、離れていたアップルファンを  かなり呼び戻すことにも成功する。そしてさすがに大きく水をあけられた  Windowsやどんどん利用者が増え続けるLinuxなどに対抗する事は不可能  ではあっても、新たに音楽のノンパッケージ配信の事業にも取り組むなど、  常に新しいものを模索し続けている。
アップルキー (Apple Key) Macintoshのキーボードに付いている  リンゴのマークのキー。コマンドキーとも言う。  Windowsマシンでは CTRL キーに相当する。
アップルシェア =Apple Share
アップルスクリプト =Apple Script
アップルトーク =Apple Talk
アップルメニュー (Apple Menu) Macintoshのメニューバーの  リンゴのマークの所に設定されているメニュー。  Windowsのシステムメニューに相当する。
アップローダ (uploader) 画像やプログラムなどの各種デジタルデータを  広く交換する目的で、誰でも掲載しダウンロードもできるようにした  サービス。パソコン通信時代にはダウンロードする人に主眼を置いて  ライブラリと呼ばれることが多かったシステムであるが、最近のインター  ネット文化の中ではアップロードする人に主眼を置いて「アップローダ」  の名前が通用している。    アップローダの多くは無料で、オーナーがチェックしなくてもアップロード  しただけで即公開されるようになっており、オーナーが時々チェックしては  変なデータやウィルスの入ったデータを削除している。したがってそこから  ダウンロードする人は、自分でウィルスチェックをする必要があるし、また  サイトによっては著作権に疑念のあるデータが掲載されてしまうこともある。    アップローダを運用する側の楽しみはなんといっても大量のデータの交換の  現場にいることで、いろいろな画像などを見ることができることである。  しかし時にはわざわざ偽装タイトルを付けてグロ画像などをアップロード  してくる人もあるので、精神的な耐性がなければ、アップローダの運用は困難  である。また、最近はアップローダがサーバーに負荷をかけるとして設置を  禁止しているレンタルサーバー屋さんも多い。    →ファイル交換システム
アップロード (upload) データを下流側から上流側に転送すること。  たとえば自宅のパソコンから会社のホストマシンや、ネットサーバーなどに  データを転送するのをアップロードという。逆はダウンロード。    略してアップ。また俗にローマ字読みしてうぷとも。    →FTP,ファイル転送プロトコル
アーティクル (article) Newsなどの「記事」。
宛名職人 (あてなしょくにん) アジェンダ製の宛名印刷ソフト。
アテレコ (当て recording) アニメーション作品の映像に合わせて声優が  セリフを録音すること。アフレコのもじりで生まれた造語ともいう。
アテンション (attention) コンピュータに特定の指令を与えるために  使用するキーボード上の特別なキー。最近のパソコンには存在しない。
アテンションコマンド (attention command) アテンションキーを  押して投入するコマンド。プログラムやジョブの強制終了を  したり、端末の日付時刻を調整したりするコマンドなど。
後入れ先出し (あといれさきだし Last In First Out)   データ構造などで、後から入れたものを先に出す方式。  バケツ型の構造体。LIFOと略す。  スタックなどがこの構造になっている。  →先入れ先出し
アドイン (add-in) 特定のソフトに付加することによって新たな機能を追加  することができるソフトウェアのこと。そのソフトを作った所とは別の所が  制作したものが初期の段階では広く使用されたが、後に元々の制作メーカー  自身からアドインソフトが別売りになったり、あるいは最初からパッケージ  に無料で添付されるようになってきた。    また、最近ではアプリケーション自体をできるだけ軽く作り、種々の機能を  アドインで加える方式にすることによって、利用者が使いやすい環境で使える  ようにすることが流行となっている。この流れになる以前は「余計な機能が 多すぎ」といわれるソフトも多かったのである。  アドオン(add-on), プラグイン(plug-in), エクステンション(extension)  などとも。  →XFCN,XCMD
アドウェア (ad-ware) 強制的に広告表示が入る代わりに無料で使用できる  ソフトウェア。別途代金を払うと広告を外せるようになっているものも多い。
アドオン (add-on) アドインとほとんど同義で、特定のソフトウェアに追加  の機能を加えるものであるが、アドインが一般には元々のアプリケーション  自体に組み込んで使用するのに対してアドオンは独立で動くソフトという  意味合いで使い分けられることもある。そのためアドオンを作る場合は  元々のソフトウェアがそのように機能を付加されることを前提に作られて  いなくても良い。    たとえばワープロソフトに組み込んで、そのワープロソフトのメニューから  文字装飾ができるようにするソフトはアドインであるが、そのワープロ文書  をより美しく印刷できるようなユーティリティはアドオンの部類になる。
アートスクールダブラー =アートダブラー
アート・センター (Art Center) カナダのアルバータ州バンフ(Banff)にある  美術研究所の通称。VRの研究などでも名高い。
アートダブラー (Art Dabbler) Macintoh用のグラフィックソフトの名前。  以前はアートスクールダブラー(Art School Dabbler)と言っていた。なお  dabble とは「まねごとをする」という意味であり、メモリーダブラーなど  の double とは別。